
カラコシュ/アルビル/メキシコシティ:最近のある日の午後、Salah Hadiさん(51)は大きなセラミックタイルにセメントを塗り、所定の位置に慎重に押し込んだ。イラク北部の町カラコシュにあるHadiさんの自宅は、2014年にダーイシュの過激派に火を付けられ、今でもすすで黒くなっている。だが先祖代々この町に住み続けているため、Hadiさんは被害を回復すると心に決めている。
Hadiさんは、新しいタイルが水平になっていることを確認するために後ろに下がったときに「戦争が終わった後、2017年にカラクシュに帰ってきました」とアラブニュースに語った。「町はがれきと残骸でいっぱいでした。戦争の名残がありました。ほとんどの家が焼かれていました」
フランシスコ教皇の訪問により、ニナワ県のキリスト教徒の住民は、精神をリフレッシュする強い気持ちを与えられたが、心に傷になって残る最近の体験を回想することにもなった。
「ダーイシュがいた時期は、苦悩と苦難の時代でした」とHadiさんは語った。「イラクの全てのコミュニティがダーイシュの襲撃で傷つけられました。ダーイシュの時代に起きたことはつらかったですが、話す必要があります」
2014年8月6日から7日にかけて、ダーイシュの過激派がカラコシュを襲撃し、この町に住むキリスト教徒4万5000人を追い出し、十字架を壊し、古代写本を燃やし、「無原罪の御宿りの聖母教会」を含む貴重な宗教建築を冒とくし、ダーイシュはそれらを射撃場にした。
その一月前、過激派は近くにあるモスルを占拠し、モスルが自称「カリフ国家」の事実上の首都だと宣言した。ダーイシュは次に、ヤジディー教徒の拠点シンジャルを含む、イラクの弱い立場にある民族・宗教的少数派が住む先祖代々の家を占拠した。
ダーイシュの電光石火の進撃から逃れることができなかった人たちは、解釈をゆがめたイスラム教に改宗させられるか、処刑された。その他の人々は奴隷として売られた。
2003年の米主導の侵攻以来、約150万人だったイラクのキリスト教徒の人口は、2014年には約35万~45万人に減少した。現在、多くの人たちが国外への亡命を選択しており、その数はさらに減少している。
Hadiさんは妻と子供3人を連れて猛襲から逃げ、近くのイラクのクルド人半自治区の首都アルビルに移った。家族で短期間滞在した後、彼らはアルビルの北部にある、キリスト教徒が住む地区、アンカワの地元の教会に作られた仮設の避難民キャンプに移った。
「出発が遅れた家族もいました。ダーイシュは彼らをモスルに連れて行きました」とHadiさんは話した。「避難生活は数日だけで、家に帰れると思っていましたが、ずっと長かったです」
Hadiさんの家の隣に住むSharabil Noahさん(52)もダーイシュの侵入から逃れるため、アルビルに逃げた。そこで彼と彼の家族は、帰れるくらい安全になったと思えるまで家を借りた。
「出発するときに荷物を持っていきませんでした。数日で家に帰れると思っていました」とNoahさんはアラブニュースに語った。彼の頭上、リビングルームの壁には大きな十字架が掛かっていた。
「帰ると、町は破壊されていました。野良犬だらけのゴーストタウンでした。水も電気もインフラもありませんでした。全部なくなっていました」
Noahさんは仕事を見つけるのに苦労しているが、カラコシュで生活を立て直すことを決意している。「ここは私たちの先祖の土地です。離れません」と彼は話した。
イラクのキリスト教徒の多くは、バグダッドの政府が彼らを無視し、宗派間の憎悪を強めさせ、ダーイシュの手に掛かった彼らを見殺しにしたと思っており、深い恨みを抱いている。
「2014年に起きたことは、政府がきちんと保護していれば避けられたかもしれない」と、カラコシュの聖ヨハネ・シリアカトリック・バプテスト教会の司祭であるNawyiyl Al-Qisitawmana神父(70)はアラブニュースに語った。フランシスコ教皇の大きな壁画が、教会の洞窟のような空色の身廊に誇らしく描かれている。
「イラク人は長年戦争で苦しんできました。特にアルカイダとダーイシュの時期は苦しかったです。イスラム教徒、キリスト教徒、ヤジディー教徒、そしてシバ人は皆、イラクで抑圧されています」とAl-Qisitawmana神父は語った。
「教皇の訪問で、世界の関心はイラクに向かうでしょう。教皇がダーイシュに破壊された場所を訪れるとき、世界はイラクで起きたことを知るでしょう」
「世界はイラク人の苦しみを感じるでしょう。今回の訪問はキリスト教徒だけでなく全てのイラク人に希望をもたらすでしょう。教皇はイラクの人々を訪ね、イラクにとどまり、平和に自由に暮らすよう勇気づけています」
フランシスコ教皇は7日にアルビルに到着し、ヘリコプターでモスルに向かう予定になっていた。そこで教皇は、ダーイシュの犠牲者と、街を取り戻すための猛烈な戦いに哀悼の意を表するため、シリアカトリック、シリア正教会、アルメニア正教会、カルデアの4教会の広場で祈りを捧げる予定になっていた。
アルビルに戻る前に、フランソ・ハリリ・スタジアムでミサを行うため、フランシスコ教皇はカラコシュに寄ることになっていた。教皇の訪問のかなり前から、通りが教皇を歓迎する旗で飾られていた。
「教皇の訪問はどの国でも常に重要ですが、イラクではもっと特別です」と、教皇を迎え入れる地元委員会のメンバーであるJoseph Hannaさん(45)はアラブニュースに語った。
「復興に関してだけではありません。教皇のキリスト教圏への訪問は、人々の心の支えであり、大きな安心感を与え、生活を取り戻し始めていることを確認できます」
Hannaさんは、フランシスコ教皇がナジャフを訪れ、イラクのイスラム教シーア派最高権威アリ・シスタニ師と会談したことを特に喜んでいる。カトリック教会の教皇とシーア派のアヤトラが直接会って行う初めての会議だった。「素晴らしい、平和と共存のメッセージだと思います」と彼は話した。
実際、アリ・シスタニ師が連帯を表明したことで、迫害されているキリスト教徒は、キリスト教徒の家族を恐怖に陥れ、彼らの多くが帰宅がするのを妨げてきた、略奪をするイラクのシーア派民兵から身を守る手段を得る可能性がある。
Noahさんは、さらなる迫害を防ぐための安全保障を望んでいる。「キリスト教徒がここにとどまることができ、権利が与えられ、ここを離れたキリスト教徒が戻ってこれることをキリスト教徒に保証できる、ここにいる私たちのための国際的保護を得たいのです」と彼は話した。
「教皇の訪問はイラクのキリスト教徒の魂をかき立て、世界には彼らのことを心配する人々がいることを伝えました。今回の訪問で、イラクのコミュニティ間の関係が深まることを願っています」
援助機関の支援を受けて、カラコシュでの生活は徐々に正常に戻りつつある。Hadiさんは、より良い時代が来ると確信している。「イラクで起きたことは悲しいです」と、彼はタイルをもう1枚取り付けるために、こてでさらにセメントをすくい上げて言った。「私たちはこの国をもう一度再建できるように一致団結しなければなりません」
2003年からイラクを悩ませてきた、宗派間での争いの時代は過ぎ去り、イラクが複数の信仰のアイデンティティを受け入れれば前に進むことができるということがはっきりと感じられる。
「ダーイシュは今では遠い昔の記憶のように感じます」と、Hadiさんは手に付いたごみを払いながら言った。「彼らのことを忘れました。終わったことです」