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アラブ男性と関係を持ったユダヤ人女性たちは、イスラエルへの脅威とされた:イスラエル紙報道

1940年3月1日付けのこの写真では、新しく来た移民がナアン・キブツ付近の移民キャンプで洗濯をしている。(ファイル写真=AFP)
1940年3月1日付けのこの写真では、新しく来た移民がナアン・キブツ付近の移民キャンプで洗濯をしている。(ファイル写真=AFP)
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18 Apr 2021 08:04:11 GMT9
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  • イスラエルの新聞ハアレツ(Haaretz)は、アラブ男性と関係を持ったユダヤ人女性たちが自分たちのコミュニティから受けた残酷な扱いについて詳報
  • 研究者によると「排除、非難、恥辱に代わって、家族内の暴力、また治安機関による暴力が台頭」

アラブニュース

ロンドン:1940年代の後半、イスラエルが国家として成立していった期間に、数百人のユダヤ人女性がアラブ人男性と結婚したために敵と見なされていた。イスラエルの公文書の中に埋もれていた記録によれば、彼女たちは排除され、孤立を強いられ、時には殺害さえされていたという。

「失われた」ユダヤ人女性― アラブ人と結婚してアラブ文化に同化したユダヤ人女性― たちの歴史を伝えたのは、イスラエルのハアレツ(Haaretz)紙だ。同紙は、彼女たちが受けた「家族からの激しい反対、排斥、偏見、非難や社会的疎外」など、彼女たち自身のコミュニティによる残酷な扱いを詳しく報じている。

当時ヤッファの主席ラビだったハナニア・デリー師は、新たに占領されたパレスチナ自治区の難民キャンプを訪れ、アラブ人と結婚してイスラム教に改宗したユダヤ人女性を探した。

デリー師は、ヘブロン、ナーブルス、ガザ、ハーン・ユーニス、東エルサレムに住む約600人のユダヤ人女性を見つけ出し、ユダヤ人としてのルーツに戻るよう勧めたと伝えられている。

宗教を異にする者同士の結婚という問題は、イスラエルでは長い間タブーとされていた。ハイファ大学イスラエル研究学部の大学院生、イディス・エレズ氏は「失われた」女性たちの窮状と、当局および民兵の地下組織が彼女たちをどう扱ってきたかを詳しく報告している。

エレズ氏は、自身の親戚も2人がアラブ人と結婚しているが、「家族の反応は、受容や態度保留から完全な拒否にまで様々でした」と言う。

同僚たちはの問題については資料が不足していると忠告したという。エレズ氏は、1917年から1948年の間のユダヤ人女性とアラブ人男性との関係についてのユダヤ人による言及を見つけることができたが、「そうしたカップルの “禁じられた物語” を書き手たちが軽く扱おうとしていた」ことに気づいたという。

エレズ氏は、「家族や個人の汚名、あるいは国の恥として認識されたものが、集合的記憶から除外されていき、光の当たらない秘密の倉庫に追いやられて、隠されたままになってしまったのでしょう」と述べた。

しかしエレズ氏は、新聞に隠された物語と「失われた」女性たちを対象とした監視活動の詳細な記録を見つけ出した。

ハガナー、レヒ、エツェルなどのシオニスト地下組織による文書記録から、女性がユダヤ人コミュニティに対する脅威と見なされ、潜在的なスパイとして標的にされていたことが明らかにされた。

注目すべき事例の1つが、1942年にハガナーのメンバーが組織の諜報部門に送った報告書に詳述されている。そのメンバーは、アラブの要人に対するスパイ活動のためにユダヤ人女性を送り込む計画の概要を説明していいる。

「今週は、カマル・アル・フセインと親密な関係にあるティベリア出身のセファルディム(スペイン系ユダヤ人)の若い女性と連絡を取り、情報を入手することを考えています。彼はその女性のために多額の浪費をするのを楽しんでいます」とそのメンバーは書いている。

エレズ氏が見つけ出した数々の物語には、1つの共通した特徴がある:ユダヤ人女性とアラブ人男性が関係を持つことに対するユダヤ人社会の敵意に満ちた態度だ。

「ユダヤ人女性とアラブ人男性が近づくという現象は、イスラエルにおいて復活したユダヤ人集団に対する脅威として、国家と宗教における境界の侵犯として、さらには社会的タブーの違反として受け取られたのです」とエレズ氏は説明する。

「それらの異性関係は、深刻で重大な究極の脅威と見なされていました。イシューブ(ユダヤ人共同体)をレバント(東地中海)社会の一部へと変え、イスラム教への改宗とアラブ社会への同化をもたらし得るものと認識されていたのです」

「多くのユダヤ人は異教徒と性的関係を持つことを規範からの逸脱と捉え、関わった女性たちを「娼婦」、「裏切り者」、「イスラエルの敵」、「国家の恥」と見なしたのです」とエレズ氏は述べた。

パレスチナにおいてアラブ人とユダヤ人のコミュニティ間の緊張が高まるにつれ、イスラム教徒とユダヤ教徒が関係を持つことに対する反応はより極端になっていった。

「排除、非難、恥辱に代わって、家族内の暴力、また治安機関による暴力が目立つようになりました」とエレズ氏は述べ、一部の女性は殺害さえされたと付け加えた。

エステル・Kさんとマフムード・アルクルディさんは、アルクルディさんが所有するエルサレムのカフェで出会ってすぐに恋に落ち、親の同意は得られなかったものの、結婚に至った。

この結婚は裁判となり、裁判所はエステルさんに家に帰るよう命じた。彼女はアルクルディさんに次のように語った。「心配しないで、数か月なんてすぐに経つから。18歳になったら戻ってきます。」その後、彼女は妊娠し、中絶を強いられたことが明らかになった。

アルクルディさんは事件の後に言った。「私は彼女を心から愛したのです。彼女のためならどんなことでもします。人々は残酷過ぎます。なぜ彼らは、私の血の一滴までも奪おうとするのでしょうか?」

アラブ人のダウド・ヤスミナさんと恋愛関係にあったチャヤ・サイデンバーグさん(当時22歳)は、1948年初頭にレヒによって殺害された。

レヒは声明の中で、サイデンバーグさんを「祖国とユダヤ人を裏切り、アラブのギャングと協力する罪を犯した」と非難した。

レヒのメンバーはサイデンバーグさんのアパートを襲撃して彼女を別の場所に拉致し、尋問した後射殺した。

サイデンバーグさんは墓石に苗字を刻まれることもなく埋葬された。地元のユダヤ人埋葬協会は彼女を「スパイ」と記録した。

エレス氏は自身の調査研究について次のように述べている。「アラブ人男性との関係を選択した女性たちは、時代を先取りし、当時の社会秩序や組織のメカニズム、また硬直した権力構造に逆らった、強くて自分の意見を持つ、自然発生的なフェミニストでした」

「彼女たちは世間の見方もシオニストの精神も無視しました。シオニストの精神とは、ヘブライ人の女性たちに、個人的な情熱を活かすことなく、必要に応じて国家という祭壇に「犠牲」として自らを捧げることを期待するものだったのです。

「アラブ人との関係を続けるために支払われた大きな代償も、彼女たちを止めることはありませんでした」

「彼女たちは、周囲や社会の厳しい反応に屈することなく、またアラブ人男性を選ぶことと、国への忠誠心や宗教的背景との間に矛盾はないと信じていたのです。」

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