



エルサレム:木曜日、エルサレム旧市街では、キラキラした新しい服を着て、風船を握りしめた子供たちがイスラム教のイード・アル・フィトルのお祝いを楽しんでいた。
しかし、両親の心には暴力の日々が重くのしかかっていた。
イスラム教の第三の聖地であるアル・アクサモスクに太陽の光が射し始めると、大勢のパレスチナ人が聖なる断食月であるラマダンの終わりを告げる最初の祈りに集まってきた。
この3日間の祭りは、モスクでの礼拝、家族での食事、新しい服やプレゼント、お菓子の買い物などで伝統的に祝われる。
旧市街の狭い石畳の道には、カラフルなプラスチック製のおもちゃや、エルサレム名物のゴマをつけたおいしいお菓子などが屋台に高く積み上げられ、人々を魅了している。
ラマダン開始時にイスラエルのアラブ人と警察の間で激しい衝突があった、何世紀もの歴史を持つダマスカス門では、2つの巨大なヘリウム入り風船の束が春風になびいていた。ミッキーマウスやスパイダーマンがその中で揺れているのが見える。
3日前には、イスラエル占領下の東エルサレムの各地で週末に起きた騒動を受け、イスラエル警察は群衆を解散させるために、汚水を混ぜた悪臭を放つ「スカンク・ウォーター」と呼ばれる水を投入した。
アル・アクサモスクと黄金の岩のドームが建つ、ユダヤ教の最も神聖な場所である神殿の丘でも衝突が発生し、数百人のパレスチナ人と数十人のイスラエル警察が負傷した。
暴力の波はその後も広がり、イスラム過激派ハマスが運営するガザ地区、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区、そしてイスラエルの都市ではユダヤ人とアラブ人の間で前例のない暴徒化した衝突が起きている。
木曜日、エルサレムではロケット弾の発射音が定期的に聞こえていたが、街には概ね静けさが戻ってきた。しかし、これはさらなる嵐の前の静けさに過ぎないのではないかと多くの人が考えている。
「今、何か問題があると思いますか?いいえ」。60代のジャバーは、ダマスカス門で重装備のイスラエル警察に監視されているパレスチナ人の群衆を指差して言う。
「しかし、いつでも再燃する可能性があります」と彼は険しい顔で警告した。
東エルサレムのイサウィヤ地区に住むフェフカは、「神が望めば、すべては元に戻ります」と言う。
「暴力を止めなければならないのに、すべては入植者のために行われているだけだ」と彼女は怒りをあらわにした。
「エルサレムは私たちのものでもあります」と彼女は主張し、1967年の戦争で占領されて以来、東側に進出してきたイスラエルの入植者たちを糾弾した。
国連によると、東エルサレムはそれ以降、イスラエルによって不法に占領・併合されているという。
26歳のヒバと21歳のソウジョウは、東エルサレムの家からパレスチナ人家族を立ち退かせ、入植者の入居を認めるという脅迫をきっかけに、トラブルが発生した金曜日からアル・アクサの施設を訪れている。
秘書科の学生であるソウジョウは、「朝も夜もアル・アクサにいました。警察とのトラブルは望んでいませんが、モスクは私たちのものであり、私たちはそれを守らなければなりません」と付け加えた。
眼下に広がる旧市街を見下ろすこの場所では、子供たちがピエロに癒され、大人たちはハマスの旗を振りかざしたり、イスラム教を賛美する横断幕を掲げたりしていた。
「エルサレムはレッドラインだ」と書かれた横断幕もあった。
旧市街を横切るアル・ワッド通りでは、パレスチナ旗をあしらったシャツを着ている人や、頬にペイントしている人がいた。
また、パレスチナの大義のシンボルとなっている白黒のチェック柄のケフィア・スカーフを身につけている人も多かった。
「今日のイードは、状況や暴力のせいでとても悲しいものになってしまいました」とヒバは言う。
「ガザやその他の場所で起きていることを見ると、喜ぶことはできません」
AFP通信