






ハゼム・バルーシャ
ガザ市/ロンドン/ニューヨーク:パレスチナ人は15日、1948年のイスラエル建国のために70万人以上が故郷を追われた「大惨事」を意味するナクバの記念日を迎えた。
イスラエルは、難民キャンプに対する空爆で、一家の女性2人と子ども8人を殺害し、この日を迎えた。
また、3発の重ミサイルがAP通信やアルジャジーラなどの報道機関のオフィスが入っていたガザ市の12階建てのアルジャラ・タワーを破壊し、ハマスの幹部であるハリル・アル・ハイェフの自宅を爆撃した。
イスラエルによるガザへの空爆により、子ども39人、女性22人を含む少なくとも139人が死亡している。
ハマスはイスラエルに数百発のロケット弾を発射し、テルアビブ郊外のラマト・ガンへのロケット弾攻撃で男性1人が死亡した15日時点では、合わせて8人が死亡している。
住宅アパートも入っていたAP通信のビルへの攻撃には、激しい怒りの声が上がった。イスラエル軍は、ハマスがビル内で活動していると述べたが、証拠は全く示さなかった。
「今日の出来事により、世界の人々はガザで起きていることについて、より少ない情報しか得られなくなるでしょう」と、AP通信のゲーリー・プルイット最高経営責任者は述べた。「我々はショックを受け、震え上がっています」。
これに先立ち、イスラエルによるガザ市の西に位置する人口密度の高いシャティ難民キャンプへの空襲では、パレスチナ人一家10人が死亡した。これはこの紛争でイスラエルが行った1回の空爆としては、最も多くの死者を出した。
ミサイルは35歳のアラー・アブ・ハタブの3階建ての家を標的とし、彼の妻と5人の子どものうちの4人、彼の姉とその5人の子どものうちの4人を殺害した。生後5ヶ月の赤ちゃんと、集中治療室に入っているアブ・ハタブの娘は生き残った。
アブ・ハタブの義理の兄弟であるムハンマド・アル・ハディディは涙を流しながら、自分の子どもたちが従兄弟たちと遊ぶために叔父の家で一晩過ごすと言い張った時の様子をアラブニュースに語った。
「空爆の音は聞こえましたが、それが妻子のいる建物でのことだとはわかりませんでした。アブ・ハタブの家が狙われたという電話を受けました。すぐに行ってみると、子どもたち全員と妻が、瓦礫に埋もれていたのです」。
イスラエルの空爆が続く中、ヘバ・アル・アッタル45歳は、アラブニュースに対し、次のように語った:「私が感じているのは、いつ自分が殺されるのか?いつ自分たちの家が破壊されるのか?3人の子どもたちが生き残ったとしても、私なしでどうやって生きていけばいいのか?ということです。毎日怖くて、夜も眠れません」。
サウジのファイサル・ビン・ファルハン外相とエジプトのサーミフ・シュクリー外相は15日、即時停戦を呼びかけた。両外相は「国際社会が、パレスチナの同胞に対するイスラエルの攻撃的な行為に立ち向かうよう」求めた。
数万人がデモ
イスラエル軍がガザへの爆撃を強化する中、ロンドン、ベルリン、マドリード、パリなどヨーロッパの主要都市では、パレスチナの大義を支持する数万人のデモ隊が行進を行った。
ロンドンでは、「ガザ空爆を止めろ」と書かれたプラカードを持ち、「パレスチナを解放しろ」とシュプレヒコールを上げる数千人のデモ隊が、首都のハイド・パーク近くのマーブル・アーチに集結し、イスラエル大使館に向かって行進した。
詰めかけた群衆は、大使館のあるケンジントン・ハイ・ストリートに沿って広がった。
「今回は違うのです」と、パレスチナのフサム・ゾムロット大使がデモ隊に語りかけた。
「今回はもう、我々の要求は拒絶されません。我々は団結してます。抑圧はもうたくさんです」。
61歳の会計士、サイモン・メイクペイスは、AFP通信に対し「この国を含め、このことについて、全世界が何かをすべき」だという理由から、デモに参加したのだと語った。
「パレスチナは解放される」
北米全土の都市の数万人の親パレスチナ派のデモ隊も、イスラエルによるガザ地区への攻撃の中止を呼び掛けた。
これらのデモは、1947年から1948年にかけてイスラエル建国時に何十万人ものパレスチナ人が住む場所を奪われた、「大惨事」を意味するナクバの日を記念して行われた。
ナクバの日を記念してパレスチナ人との連帯を示す集会は、ニューヨーク、ボストン、ワシントン、モントリオール、ミシガン州ディアボーンなどの都市で開催された。
アラブ人が多く住む地区の通りをデモ隊が占拠する中、複数のユダヤ人も「私は断固反対」、「パレスチナと連帯」と書かれたプラカードを持って参加した。
「私が参加したのは、パレスチナ人の命とイスラエル人の命は同等であるべきなのに、今はそうなっていないからです」と、マンハッタンに住む企業戦略家のイムラン・カーン35歳が、パレスチナの旗を振りながら語った。
「核武装した国家と、石を持った村人の国があれば、非難されるべきは明らかです」と、彼は付け加えた。
20歳の学生、アリソン・ザンブラノは、隣のコネチカット州からデモにやって来た。
「パレスチナ人には自由に生きる権利があり、ガザの子どもたちは殺されるべきではないのです」と、彼女はAFP通信に語った。
ニューヨークに50年住んでいる73歳のパレスチナ人、マシュフール・アフマドは、「攻撃を犠牲者のせいにするな」と述べた。
「バイデン大統領と閣僚には、殺戮を支持するのをやめろと言っているのです。犠牲者を支援し、迫害を止めるのです」。
「このところイスラエル軍がふるっている暴力は、ジェノサイドです」と、彼は付け加え、「パレスチナを解放し、迫害を止めろ」と書かれたポスターを頭上に掲げた。
ジョー・バイデン大統領は15日、イスラエルとパレスチナの首脳らと個別に会談し、死傷者を出した6日間の暴力行為に「深刻な懸念」を表明した。
大統領は、「イスラエルとパレスチナの紛争の公正かつ永続的な解決を実現するための最善の道として、交渉による二国家解決に対する強い決意」を表明したと、ホワイトハウスは発表した。
ボストンのコプリー・スクエアには大勢の人々が集まり、アメリカの首都のワシントン記念塔の敷地には数百人が集結した。
カナダのモントリオールでは数千人が「パレスチナの解放」を求めてデモを行った。
デモ隊はまた、カナダの同都市の中心部で行われたデモの中で、イスラエルによるガザでの「戦争犯罪」を糾弾し、イスラエルの国際法違反を非難するプラカードを掲げた。
(AFP通信との共同記事)