
アルジェ:大規模抗議活動が国を飲み込んだ2019年に辞任するまで、20年間にわたりアルジェリアを統治したアブデルアジズ・ブーテフリカ氏が17日、84歳で死去した。公共テレビが発表した。
かつての絶対的指導者は、5期目の出馬をめぐる数週間のデモを受けて、軍の圧力により2019年4月に退任した。
辞任後は、アルジェ西部の邸宅で、公に姿を見せないようにしていた。
ブーテフリカ氏は、旧フランス植民地のアルジェリアが20万人近くの死者を出した10年に及ぶ内戦から脱却した1999年に、同国の大統領に就任した。
アルジェリア国民から「ブーテフ」と呼ばれていた同氏は当初、特に何千人ものイスラム主義戦闘員に武器を手放すことを促した恩赦法を制定するなど、平和を促す後押しをしたことで尊敬を集めた。
ブーテフリカ氏はさらに5年の任期の大統領職に3期連続で当選した。直近では、2014年に当選している。
ブーテフリカ氏の伝記を執筆したジャーナリストのファリド・アリラット氏は、2000年代初頭の支配の絶頂期には、同大統領は「あらゆる権力のレバーを握っていた」と言う。
大きかったのは、軍と諜報機関の支援を受けていたことだ。
「彼は絶対的な大統領になった」と、アリラット氏はAFPに語った。
アルジェリアは、2011年にアラブ世界で広がった暴動の波をほとんど受けず、多くの人々は、1990年代の紛争の今も残る痛ましい記憶が、緊張を抑えることになったと考えている。
しかし、ブーテフリカ政権では汚職の増加が目立つようになり、多くのアルジェリア人は、莫大な石油の富を持つこの国が、なぜ脆弱なインフラや高い失業率を抱え、多くの若者を海外に追いやることになったのかと、疑問を抱くことになった。
後年、ブーテフリカ氏の健康状態の悪化により、リーダーとしての同氏への信頼性が低下し始めた。
2013年4月には軽い脳卒中を患って、会話能力に支障が生じ、車いすの使用を余儀なくされたものの、同氏は、統治能力に対する国民の疑問が高まりながらも、4期目を務めることに決めた。
2019年の5期目への出馬は、怒りの抗議活動に火を付け、すぐに同氏の政権に対する大規模運動へと発展した。
軍の後ろ盾を失うと、同氏は退陣を余儀なくされた。
1962年にアルジェリアがフランスから独立して以降続く統治制度の全面的な見直しを求めて、ヒラクの大規模抗議活動が続いた。
しかし、強い権力を持つブーテフリカ氏の弟のサイードを含め、ブーテフリカ時代の重要人物が最終的に汚職事件で投獄された一方で、念願の変革は実現しなかった。
2019年末には、ブーテフリカ氏の後継者のアブデルマジド・テブン氏が記録的な低投票率で選出されたが、ヒラクはボイコットを呼びかけることとなった。
ヒラクを攻撃する狙いがあると見られる憲法改正の国民投票は、有権者の関心をさらに低下させた。
しかし、抗議運動は、コロナウイルスのパンデミックにより中断され、政府が反対派を取り締まる中、勢いを取り戻すのに苦労している。
囚人の解放を求める団体CNLDによると、ヒラクに関連して、あるいは個人の自由をめぐる問題で、200人前後が収監されているという。
また、ブーテフリカ時代の守旧派がいまだに国の大部分を支配しており、20年に及ぶ同氏の統治が残した遺産が混じっている。
「アブデルアジズ・ブーテフリカ氏は、生涯にわたり、権力を掌握し、どんな犠牲を払ってでもこれを維持するという2つの強迫観念に駆られていた」と、アリラット氏は語った。
「しかし、この強迫観念こそが…彼を権力の座から追いやった反乱に火を付けたのだ」。
AP通信