
スーダン、ハルツーム(首都):モハメド・アブデル・サラームさんは、母親が待つハルツームの自宅の近所で胸を撃たれた。
モハメドさんは、スーダンで軍事クーデターが起き、文民指導者たちが逮捕されて政府が崩壊したと聞くと、デモに参加するために家を出ていた。
モハメドさんの兄が彼を近くの病院に運んだものの、数日後、胸に受けた傷が原因で家族に看取られながら息を引き取った。20歳だった。彼はまさに先週以降殺害された12人のデモ参加者たちの1人であった。負傷者もこれまで200人以上に上っている。
10月25日、スーダン軍のアブデル・ファッタ・ブルハン司令官がクーデターを起こし、国営の報道機関を掌握して国内の通信を遮断した。米国や西側諸国が激しい非難を寄せている今回の軍による権力掌握は、何年にも及んだ独裁政権下での孤立と抑圧に終止符を打った民衆の蜂起から2年が経過して起きた。
その日起きたクーデターは、モハメドさんがスーダンに抱く願望とは真逆のものだった。家族や友人からミドの愛称で呼ばれているモハメドさんは、長年独裁体制を敷いてきたオマー・アル・バシール大統領を追放することとなった2019年の大衆抗議運動にも参加しており、民主政治を要求し、何ヶ月も座り込んだという。彼の母親は、息子は再び街頭に出て抗議せざるを得ないと感じていたと話す。
「治安部隊は、ここまで息子たちを追いかけてきました。ここの家のすぐ隣です。息子を撃った人は息子を殺したかったのです」とまだ隣人たちが哀悼の意を捧げにやって来る家から母親のマハセン・アブドラ・アブエルガシムさんが語った。
モハメドさんの死後、街頭のデモ活動は何万人もの人々で膨れ上がり、クーデター反対を唱え、互いに非暴力の姿勢を維持して行動するよう要求している。デモ参加者たちによると、彼らは治安部隊による殴打や彼らが発射するゴム弾、実弾に晒されているという。スーダン内務省は、平和的なデモ参加者への発砲を繰り返し否定しており、軍隊の中には銃撃を受けて負傷した者もいると述べている。
モハメドさんが撃たれたのと同じ日、他に3人のデモ参加者も殺害されている。2019年の抗議活動を背後で支援した主要勢力であるスーダン専門家協会の傘下にある医師組合は、デモ参加中に治安部隊に撃たれて死亡した人は合計で15人ほどであり、 280人以上が負傷したと発表した。
当初アブエルガシムさんは、息子のモハメドさんが病院で死の床にある間、他の子供たちが抗議活動を続けるのが怖かったが、彼が亡くなるとその気持ちはすぐに消え去り、今は彼女も抗議活動への参加を望んでいると話している。
モハメドさんを病院に運んだ兄のアンワル・アブデル・サラームさんは、スーダンが弟が望んでいたような国になるまで抗議活動を続けることを約束し、「私たちの前で亡くなった人々は、誰よりもかけがえのない人々なのです」と述べた。