ブルカ(ヨルダン川西岸地区):ヨルダン川西岸地区の奥地にあるパレスチナ人の私有地に建設されたユダヤ人入植地「ホメッシュ」は、2005年に解体され、再建設はできない。少なくとも、イスラエルの法律ではそうなっている。
しかし先週、入植者のグループがその場所に車でやってくると、パレスチナ人の車が入れない軍の検問所を通過して、風の強い丘の上にあるテント群に到着した。そこでは、数十人の入植者が仮設のイェシバ(ユダヤ教学校)で勉強している。
彼らは空のワインボトルやゴミ袋を回収し始める。これらは前夜、数百人の入植者が参加した休日の宴会の跡で、その様子はソーシャルメディアに記録されていた。
1967年の中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地区を占領してから約55年が経過した今、イスラエル軍の兵士が警備しているホメッシュで入植者たちが存在感を示している事実は、入植者運動の力を如実に示している。
彼らの力は、パレスチナ人やイスラエル人の平和活動家に対するここ数カ月の相次ぐ攻撃にも表れている。その多くは、法と秩序を維持するとイスラエル政府が約束しているにもかかわらず、彼らを止めることができないか、または止める気がないように見えるイスラエル兵の目の前で起こっている。暴力の中でも最もひどいのは、ホメッシュのような強硬派の入植者の入植拠点(アウトポスト)に関連するものである。
イスラエル当局が、イスラエルの法律で明らかに違法とされているホメッシュを撤去しないことを考えると、将来の和平協定の一環としてイスラエルが公式に認めている130の入植地を撤去することなどほぼ不可能である。現在、これらの入植地には50万人近くの入植者が住んでおり、ホメッシュのような無許可の入植拠点も数十カ所あるという。
パレスチナ人は入植地を、100年来の紛争を2国家間で解決するための最大の障害と考えており、ほとんどの国は入植地を国際法違反と見なしている。しかし、タカ派化がますます進むイスラエルでは、入植者たちは広く支持されている。
イェシバの教師であるラビ・メナケム・ベン・シャカール師は、「私たちは、神に感謝しつつ、ここに住み、トーラー(律法/モーセ五書)を学ぶ特権を与えられています」と語る。
「イスラエルの人々は、ホメッシュを守り抜き、この場所、そして他のイスラエルの地、全ての場所において、トーラーを学ぶ必要があります」と、彼は今日のイスラエルとヨルダン川西岸地区を指す聖書の言葉を使って語った。
イスラエルは2005年にガザ地区からの撤退の一環としてこの入植地を解体し、法律によってイスラエル国民の入植を禁止している。イスラエルの最高裁判所は、この土地が、近くのブルカ村に住むパレスチナ人が所有するものであることを認めている。
しかし、入植者たちは何度も戻ってきては、雑草が生い茂ったかつての家屋の基礎部分にテントを設営したり、その他の建造物を建てたりしている。
軍は何度かこれらの建物を取り壊したこともあるが、多くの場合は彼らの存在を容認している。
1月16日に行われたパーティーは、この場所で何年にもわたって行われてきたデモ行進、政治集会、その他の集会の中でも最も新しいものである。これらの集会の中にはイスラエルの議員が参加したものもあった。
イスラエル軍は声明の中で、このイベントは許可されておらず、民間人がこの地域に到達するのを防ぐため、検問所を設置するなどの措置をとったと述べている。
しかし、入植者たちはその周りを歩いて移動した様子だ。軍はホメッシュをめぐる、より大きな問題についての議論を拒否し、政府報道官もコメントを拒否した。
先月、入植拠点の近くで銃を持ったパレスチナ人男性がイェシバの学生を殺害したことは、入植者たちの怒りを引き起こし、今ホメッシュを避難することは、テロリズムと融和することになるとの声が上がっている。しかし、解体から16年経っても入植拠点が存続しているのは、入植者の最も大胆な活動を抑制することがほぼ不可能であるという、イスラエルの深い部分の変化に根ざしている。
イスラエルの議会は入植者を支持する政党で占められている。現政権は、現在の政府は、政治的に様々な派閥が混在、相互に依存する脆弱な連立政権であり、入植者との大きな対立が自分たちの破滅を招きかねないことを知っている。ナフタリ・ベネット首相は元入植者のリーダーで、パレスチナの国家化に反対している。
その影響は今、ブルカとその周辺の村のパレスチナ人にも及んでいる。
AP