
ワシントン:米国務省によると、アントニー・ブリンケン国務長官は1月31日、二国間関係強化のさらなる一歩として、アッバース大統領と電話会談でパレスチナ自治政府の改革の必要性について議論した。
バイデン米大統領はパレスチナとの関係修復を求めている。二国間の関係は、トランプ前大統領がイスラエル占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ人への援助を停止し、エルサレムのパレスチナ人向け米国領事館を閉鎖したことで弱まっていた。
バイデン政権は、イスラエルの反対を押し切って援助を再開し、領事館の再開を約束した。一方、アッバース大統領(86)には、イスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人に対する自治政府の支払いなどいくつかの政策を変更するよう求めている。
米国務省のプライス報道官は31日の記者会見で、捕虜への支払いについては言及しなかったが、ブリンケン国務長官とアッバース大統領は「パレスチナ自治政府内の改革の必要性」について議論したと述べた。
また、同報道官は、「具体的な方法でパレスチナ人の生活の質を向上させる必要性」についても議論したと述べた。
電話会談の記録では、アッバース大統領の事務所は自治政府内の改革についての議論には一切触れていない。自治政府は、1967年の中東戦争でイスラエルが占領したヨルダン川西岸地区において限定的な自治権を行使している。
アッバース大統領はブリンケン国務長官に対し、イスラエルは 「捕虜の虐待と(中略)税金の源泉徴収を止めるべきだ」と述べた。イスラエルは2018年より、代理徴収した税金から捕虜への給付金分を差し引き、毎月パレスチナ自治政府に送金している。
イスラエルと米国は、捕虜やその親族、攻撃を実行したとして死亡したパレスチナ人の家族に毎月分配される給付金は、さらなる暴力を助長していると指摘する。
パレスチナ側は、給付金は国家的英雄と見なす受刑者とその家族に対する福祉の一種であると考えている。
一方、ウィスコンシン州議会の代表団の二人は31日、バイデン政権に対し、故郷の村に戻る前にミルウォーキーに住んでいたパレスチナ系アメリカ人が、ヨルダン川西岸地区の検問所で死亡した原因を調査するよう要請した。
家族の話やメディアの報道によると、オマル・アサド氏(78)は、1月12日の早朝、故郷のジルジリャ村の検問所でイスラエル軍に止められ、死亡した。
アサド氏の甥のアサド・アサド氏によると、検問所で拘束された他の人々は家族にこう話したという。兵士らはアサド氏を車から引きずり出し、地面に投げ落とし、手足を結束バンドで縛り付け、アサド氏がその場で死亡した後、逃走した。
イスラエル軍は、オマール氏は検査に抵抗したため拘束され、その後釈放されたと述べており、同氏が生きていたことを暗示している。同氏がいつ死亡したかは正確には不明だ。27日に公開されたパレスチナの医師による検死結果では、死因は「外部からの暴力」による心臓発作と認定された。
イスラエル軍報道官のアムノン・シェフラー中佐は、アサド氏の死はまだ調査中であり、「不正行為が発見された場合は対応する」と述べた。
アサド氏はジルジリャで生まれた後、約40年間を米国で過ごした。同氏の甥がAP通信に語ったところによると、同氏は2009年に妻のナズミアと共に故郷の村に戻る前に米国市民権を取得していた。
米国務省関係者は、アサド氏の死に至るまでの経緯について説明を求めているという。
タミー・ボールドウィン上院議員とグウェン・ムーア下院議員は、ブリンケン米国務長官に書簡を送り、アサド氏の死と、関与した兵士がアメリカの援助で調達した装備を使用したかどうかについて調査を開始するよう依頼した。
ボールドウィン議員とムーア議員は、「私たちは、米国の外交政策の基礎として、人権と法の支配を強く支持します」と書いた。「パレスチナ系アメリカ人として、アサド氏は海外に居住するアメリカ国民に与えられる完全な保護を受ける権利があり、同氏の家族は回答を受ける権利がある」
国務省のプライス報道官は31日、ボールドウィン議員とムーア議員からの要請は承知しておらず、国務省はイスラエル当局からの最終報告書も承知していないと語った。
「我々はこれからも事件の状況が徹底的かつ包括的に調査されることを支持し、できるだけ早く追加情報を受け取ることを期待する」とプライス報道官は述べた。
イスラエルは1967年の第三次中東戦争以来、ヨルダン川西岸地区を占領している。アサド・アサド氏によると、同氏の叔父と叔母は1969年、職を求めてジルジリャからシカゴに向かったという。同氏は、彼らは1974年にミルウォーキーに移り、コンビニエンスストアやレストランを開いて成功したと述べた。
彼らの他、数十人のジルジリャの住民が、高齢者施設を建設するために何年もかけて村に戻ったとアサド・アサド氏は述べた。
ロイター、AP通信