

ガザ:サマル・アイタさんはガザ地区で3回の戦争を乗り切った後、4年前にウクライナに移住した。まさか、故郷から遠く離れた紛争によって、コンピュータ工学の勉強が妨げられることになるとは、想像もしていなかった。
この21歳のパレスチナ人女性は、ウクライナ北東部の都市ハリコフから逃れて、現在はガザ南部の町ラファに戻り、家族一緒にいる。
「戦争から別の戦争へ、砲撃から砲撃へ、強制退去から強制退去へ、避難所から避難所へと右往左往することになるとは思ってもみなかった」と、アイタさんは言う。
「ウクライナはとても穏やかで安全な場所だったので、まさか自分が脱出を余儀なくされたり、命の危険にさらされたりするとは予想もしていませんでした」
2014年、ガザ武装勢力との50日間の戦争中、近所がイスラエルの爆撃に遭い、アイタさんは親族数人を失った。彼女と母親は、ロシアのウクライナ侵攻の最初のニュースを聞いた時、その時の光景を思い出した。
「娘がひとりぼっちで、そこがどれだけ危険かわからないと知り、私は緊張して1週間も眠れませんでした」と、アイタの母シャディアさんは話した。
イスラエルと、ガザ地区を支配するイスラム原理主義組織ハマス主導の武装グループは、昨年5月の戦争を含め、2008年以来4回の戦争を行っており、この地域は依然として不安定な状態に置かれている。
アイタさんは、ウクライナから脱出する途中で何度も危険な目に遭ったという。例えば、ハリコフから列車で脱出する際、爆撃で突然進路の変更を余儀なくされ、12時間の予定が36時間もかかる厳しい旅となった。
パレスチナ外務・移民庁によれば、同庁が監督してウクライナから非難したパレスチナ人の数は1,300人に上り、そのうち600人が学生だという。
そのほとんどが医学を学ぶ学生だったと、パレスチナ外相顧問のアーメッド・アル・ディーク氏は述べた。同氏によれば、パレスチナ自治政府は、ウクライナから逃れた学生が、代わりにヨルダン川西岸地区とガザ地区の大学で学べるように支援するという。
ガザのヌッセイラート難民キャンプで、ラベア・アブ・ラベアさんは、ウクライナからここに来るまで11日かかったと話した。ポルタヴァ国立医科大学4年生の彼は、父親のような歯科医になることを目指していた。
「目の前が行き止まりになっていて、将来に確信が持てない」とアブ・ラベアさんは言い、ガザから来た他の約200人の学生も避難したが、多くは他のヨーロッパ諸国に留まることを希望していると付け加えた。
ロイター