
タレク・アリ・アーマド
アラブのメディア業界は、業界有数の有力者であるレバノンのベテランニュースキャスター、ナイワ・カセムさんの突然の死亡を受け、暗い新年を迎えることとなった。
イラク戦争やレバノン戦争に関する大胆不敵な報道で知られるジャーナリストのカセムさんは、享年51歳であり、まだアル=アラビ-ヤとアル=ハダス・ニュースチャンネルで働いていた。
カセムさんが報道の仕事を始めた「フューチャーTV」のオーナーでもあるレバノンのサード・アル=ハリリ元首相はツイッターでお悔やみの言葉を述べ、カセムさんの死は「本当に悲しいショック」であり、カセムさんは「スクリーンで輝く星のような存在だった」と付け加えた。
カセムさんのキャリアは多岐にわたるものだったが、そのハイライトとして、2011年に「アラビアン・ビジネス」によってアラブ世界で最もパワフルな100人の女性の1人に選ばれたこと、2006年にアラブ・メディア・フェスティバルによって最優秀女性プレゼンターに選ばれたことなどが挙げられる。
幾つもの賞を受賞したカセムさんのキャリアは、1992年にレバノンのニュース専門局「フューチャーTV」で始まった。同局でカセムさんはを幾つかの番組のホストを務め、イスラエル軍の対レバノン軍事作戦や南レバノンからの撤退について報道した。
「私がフューチャーTVで最初に採用したのがナイワでした。まずオーディションを行ったのですが、この女性はスクリーンを支配する存在になるだろうとの結論を出すのに数分とかかりませんでした…それ以来、彼女はまさにそうなりました。登場したすべてのスクリーンで」 と、カセムさんとはフューチャーTVの同僚だったMBCグループTVのアリー・ジャービル局長がアラブニュースに語った。「彼女は真のジャーナリストであり、素晴らしい友人でした。亡くなる数時間前まで連絡を取り合っていました」
2003年、カセムさんはアル=アラビーヤ・ニュースチャンネルに移り、イラク戦争報道中には同局のバグダッド支局に対する爆弾攻撃で死を免れた。攻撃では8人の同僚が死亡した。
カセムさんは、2005年のレバノンのラフィーク・ハリーリー首相の暗殺や、2006年のレバノン・イスラエル戦争の最前線について報道した。
アル=ハダスでは幾つかのニュース番組や時事速報のホストを務め、選挙、紛争、首脳会議などを取り上げた。
アラブ世界のソーシャルメディアは、カセムさんの同僚からニュースでカセムさんの姿を見ることが習慣のようになった人たちまで、カセムさんを称える言葉やお悔やみの言葉で満たされた。
追悼の先頭に立ったのはレバノンのサード・アル=ハリリ元首相だった。
サウジアラビアのニュースチャンネル「アルイフバリヤ」でアナウンサーを務めるIsmaeel AlMalleesさんは次のようにツイートした。「スクリーンの伝説が消え去りました。神のご加護がありますように、ナイワ。 ご家族とご親族には深いお悔やみと同情の言葉を申し上げます。アラブの家族と出来事にも」
ツイッターユーザーのMurtadhaさんは次のように書いている。「アラブ有数のニュースキャスターであるナイワ・カセムが本日死亡した。これは中東のテレビにとって悲劇的な損失だ。RIP」
別のユーザーであるMayyar Schehadehさんは、「レバノン人のプロのアナウンサー死去という、非常に悲しい日、悲しいニュースを克服することができなかった。#Najwa Qassemさん、失うものは大きい」とツイートした。
カセムさんが勤務していたアル=アラビーヤは、カセムさん死去に関し声明を発表し、カセムさんのご家族に哀悼の意を表した。