Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter

日本、米国による太平洋での核爆発実験の影響を振り返る

(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
(ANJ).
Short Url:
10 Aug 2023 06:08:34 GMT9
10 Aug 2023 06:08:34 GMT9

アラブニュース・ジャパン

東京:日本が広島と長崎の原爆投下から78年目を迎える今週、東京で写真展が開催されており、全国で行われている核兵器使用に対する反対活動も注目が集まっている。
 
また、第3番目の原爆被害も記憶されている。1954年3月、マーシャル諸島のビキニ環礁沖で原爆が爆発した「第5 福龍丸(ラッキ―ドラゴン)事件」と呼ばれた。この米国の核実験における爆発を、被ばくした日本のマグロ漁船の乗組員たちは目撃した。
 
その時周辺にはいくつかの漁船がいたが、アメリカの熱核爆弾であるキャッスル・ブラボーと呼ばれる爆弾が秘密の試験として行われた場所である半径内にいたのは、第5福竜丸というマグロ漁船だった。その後、多数の漁師が核爆発によって被曝したことが発覚し、初めての核実験反対運動が日本で生まれた。数千人の日本人が、漁産物への放射能の影響やマグロ漁船の乗組員への影響に対する抗議を行った。
 
米国政府は爆発の健康影響を隠すためにあらゆる手段を講じ、医師たちも時折、漁師たちの被曝レベルを隠したが、すぐに彼らは爆発の被害の深刻さを理解することになった。展示会では、漁師たちの言葉とともにパネルが展示された。
 
また、展示の主催者の1人である鳥居靖氏は、ガイガーカウンターのレプリカと、漁師たちの髪や体から確認されたセシウム粒子の複製を展示した。
 
この展示会では、マーシャル諸島の住民にも触れている。1946年から1958年の間に、マーシャル諸島近くで合計68回の核実験が行われ、その中にはキャッスル・ブラボー爆弾も含まれており、これは米国が行った中で最大の核爆弾実験だった。住民たちは今でも、放射能の影響が野生動植物や人間に影響を与え続けている中で、アメリカ政府との間で補償額の増額を求めて争っている。
 
特に人気
オススメ

return to top