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戦後、ダンスに喜びと仕事を見出すヨルダンのシリア人

ヨルダンの首都アンマンで行われた祝宴で、シリア伝統舞踊団「バブ・アル・ハラ」のムタズ・ブーラド団長が、公演に向けて準備する団員を手助けする。(AFP)
ヨルダンの首都アンマンで行われた祝宴で、シリア伝統舞踊団「バブ・アル・ハラ」のムタズ・ブーラド団長が、公演に向けて準備する団員を手助けする。(AFP)
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09 Jul 2022 04:07:44 GMT9
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  • 「私はヨルダン人ですが、シリア系です。彼らのダンスの技術、音楽、衣装、歌に憧れて、このグループを招きました」と、家族や友人、近所の人たちと一緒に祝う55歳のシェハデ氏は話した。

アンマン:残虐な内戦を逃れたシリア難民は、隣国のヨルダンで、ドラムの音に合わせて陽気に歌いながら伝統舞踊「アラダ」を踊り、母国の文化を称え、副収入を得ている。

ヨルダンでは、伝統的な衣服と剣を振り回す彼らのパフォーマンスは、結婚式やパーティーなどの祭典を彩るものとして人気が高まっている。

「彼らは私たちの祝宴で喜びの雰囲気を盛り上げてくれます」と、首都アンマンで2人の息子の大学卒業を記念してバブ・アル・ハラ舞踊団を雇ったファヘッド・シェハデ氏は言う。

「私はヨルダン人ですが、シリア系です。彼らのダンスの技術、音楽、衣装、歌に憧れて、このグループを招きました」と、家族や友人、近所の人たちと一緒に祝いを行う55歳のシェハデ氏は話した。

アラビア語の「パフォーマンス」が語源のアラダは伝統的に結婚式で見られ、その人気により、さまざまな祝賀行事に合わせて曲がアレンジされてきた。

「私はヨルダン人ですが、シリア系です。彼らのダンスの技術、音楽、衣装、歌に憧れて、このグループを招きました」と、家族や友人、近所の人たちと一緒に祝う55歳のシェハデ氏は話した。

ファヘッド・シェハデ氏

一座は通常10~20人のダンサーからなり、ゆったりとした黒いズボン、白い綿のシャツ、刺繍の入ったベスト、白いスカルキャップ、腰巻きショールを身に着けている。

剣や飾り盾を身につけ、ダンスのクライマックスには空中で剣を回転させ、儀式的な戦闘を行う。

団長のムタズ・ブーラド氏(60歳)は、アラダはアンマンで人気が高まっており、夏場は毎日、冬場は毎週数回のイベントがあると話す。1988年にシリアを離れたブーラド氏によると、2011年に勃発した戦争から逃れた人々にとって、このショーは現金を得るための重要な手段になっている。

「ダンサーたちの中には、私たちのもとに来た当初はうまくなかった人もいますが、自身の経済状況を改善するために、私と息子たちから学びました」と彼は言った。

シリアの戦争では、50万人近くが死亡し、数百万人が避難したと推定される。660万人以上が隣国のヨルダン、トルコ、レバノンに逃れた。

ヨルダンは国連に登録された約65万人のシリア人を受け入れているが、アンマンは2011年以降、130万人近いシリア人が流入したと推定している。

国連は、ヨルダンに住むシリア人の80%近くが国の貧困水準以下で生活しており、1日3ドル以下で暮らしていると発表している。

ブーラド氏によると、ダンサーたちはさまざまな職歴を持っている。

「ほとんどのダンサーはアラダの他に別の仕事をしています」とブーラド氏は述べる。

「大学生、会計士、レストラン従業員、仕立て屋、電気技師もいますが、これは生活を維持するための資金を提供するものです」

2013年にシリアから逃れて配管工として働くアフメド・アブ・シャディ氏(43歳)のようなダンサーにとって、アラダのパフォーマンスは3人の子どもを育てる助けになっている。

「配管工の仕事は、働く日もあれば、お客さんのいない日もあります」と彼は言う。

「アラダでは、踊りに行くたびに15ディナール(20ドル)の支払いを受けます。わずかな額ですが、生活の助けになっています」

医学研究所に勤務する匿名希望の別のメンバーは、2018年にシリアの都市ホムスから逃亡した。

研究室からの通常の給与700ドルに加え、ダンスで毎月300ドルほどを得ることで、国連難民局を通じた申請が処理されるのを待つ間、家族を支えている。

「私はUNHCRを通じて難民申請しました。私たちが海外で新しい生活を始められることを願っています」と彼は話した。

避難生活や経済的困難にもかかわらず、アラダを踊ることはアフメド・アブ・シャディ氏の生活の重要な部分を占めている。

「このダンスは、私たちシリア人のアイデンティティ、遺産、文化、そして日常生活の非常に重要な要素です。保存し、私たちの子供や孫に教えなければなりません」と彼は言う。

「この芸術は私の血の中に流れているもので、私はこれを愛しており、これなしの自分自身や人生は考えられません」

彼はいつかまた、故郷で踊ることを夢見ている。

「私はどこに行っても踊り続けます」と彼は言った。

「しかし、もちろん、いつか状況が改善され、私たち全員が祖国シリアに帰れるようになることを望んでいます」

AFP

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