ベイト・イザ、パレスチナ自治区:占領下のヨルダン川西岸地区にあるガリブさん一家の自宅は、高さ8メートルの金属フェンスに取り囲まれている。家に帰るにはイスラエル治安部隊が遠隔操作する門を通らなければならない。
1967年の6日間戦争(第三次中東戦争)でイスラエルがこの地域を占領して以来、この家族が所有権を主張する周辺の土地にユダヤ人入植地が現れ、パレスチナのベイト・イザ村のはずれにある彼らの平屋建ての家は孤立してしまった。
「この状態がいつ終わるのか分かりません」と、サダト・ガリブさんはため息をつく。「私の子どもたちの苦しみを誰も知りません」
長年この一家の家は一帯の農地の中にあったが、現在はイスラエル兵が管理する黄色い門の奥にある。イスラエル兵は高さ8メートルのフェンスを見渡す狭い橋もパトロールしている。
「この年月の暮らしは厳しいものでした」と、近くのラマッラーのパレスチナ自治政府に勤務する40才のガリブさんは語る。
彼が子供の頃、彼いわく一家が所有している土地と一部が重なる形でユダヤ人入植地ギヴォン・ハハダシャが建設された。
数十年後、ガリブさんの家とイスラエル人の赤い屋根の住宅や庭は高いフェンスで隔てられている。子供用の滑り台がある入植者のための共有スペースが数メートル(ヤード)離れた所に作られた。
国際社会の大半は入植地を違法だと見なしているが、イスラエルはその判断を拒否している。
ガリブさん一家は、イスラエルの裁判所で何度も法的に争い、2012年には所有権を主張する土地のわずかな部分の権利を勝ち取った。
「入植者たちが駐車場や公園を作ってしまったので、10年かけて治安部隊に(判決を)履行して土地を取り戻してもらう必要がありました」とガリブさんは言う。
ガリブさんによると、家に通じる黄色い門は2008年に設置された。門を通るには監視カメラに身分証明書をかざさなければならなかった時もあったという。
「(私たちは)高等裁判所に訴えました。すると、常に門を開いておくことが認められました」とガリブさんは言う。
「私たちと入植者たちの間で争いが起きました」と、妻と4人の子供と母親と暮らすガリブさんは言う。
入植地に住むアヴィ・ジポリーさんは、家の周りの「不快な」フェンスは無い方がいいと言う。
「この地域と彼の家はユダヤ人の土地の中にあると、2つの裁判所が全員一致で判決を下しているんです」と、70才のジポリーさんは言う。
「彼の家を壊したくはありませんでした。(彼には)いかなる代案も受け入れる用意がありませんでしたし、他の土地と多額の金を提供すると言っても拒否しました。だからこの隔離フェンスを置き続けるほかはなかったのです」と彼は言う。
ガリブさんは家とギヴォン・ハハダシャ入植地の間にブルーシートをかけて仕切りを作った。「子供が入植者たちを気にしたり怖がったりせずに遊べるようにするためです」と彼は説明した。
ガリブさんは、この状況が子供に影響を与えていると語る。近くでパレスチナ人とイスラエル軍の衝突が起こっている時は特にそうだと。
「私の娘は一晩、5時間眠れませんでした。ドアの外に駐留していた治安部隊が怖かったのです」
困難にもめげず、彼はまだ何とかして家族のオリーブの木から収穫を行っている。
収穫に行くためには、イスラエル治安部隊と調整したうえで、遠回りして近接するパレスチナ人村ベイト・デュクを通らなければならない。
そこに着いても、兵士がもう一つの門を開けてくれるのを「1~2時間」待たなければならないという。
ガリブさんは自分の土地に留まることを決意している。「ここは、父が祖父から受け継いだ私たちの土地です。世界中の全てのお金を貰ったとしても誰にも売りません」
AFP