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米イラン戦はアラブ人ファンの多くにとって地域の対立を映し出しすものだった

アラビア語で「米国に死を」と書かれた横断幕の下に座ってワールドカップ・グループBの米イラン戦を観戦する、レバノンのイランチームファンたち。2022年11月29日(火)、レバノンのベイルート南郊のコーヒーショップ。(AP)
アラビア語で「米国に死を」と書かれた横断幕の下に座ってワールドカップ・グループBの米イラン戦を観戦する、レバノンのイランチームファンたち。2022年11月29日(火)、レバノンのベイルート南郊のコーヒーショップ。(AP)
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30 Nov 2022 06:11:22 GMT9
30 Nov 2022 06:11:22 GMT9
  • イランを批判する人々は、同国はレバノン、シリア、イラク、イエメン、パレスチナの強力な武装組織を支援することでアラブ世界全体で戦争と騒乱を煽ってきたと言う

バグダッド:29日に行われたワールドカップの米国対イランの試合は米国の勝利に終わったが、この試合は中東全域で注目を浴びていた。この地域の人々の多くは、40年以上にわたって冷戦状態にある両国の一方あるいは両方が地域に災難を引き起こしていると非難している。

イランを批判する人々は、同国はレバノン、シリア、イラク、イエメン、パレスチナの強力な武装組織を支援することでアラブ世界全体で戦争と騒乱を煽ってきたと言う。

イランを支持する人々は、同国を「米国の帝国主義」、腐敗したアラブの統治者ら、イスラエルによるパレスチナ抑圧に対する「抵抗の枢軸」を率いる国と見なしている。

この分断が特に大きいのは、イランが支援する重武装政治派閥が、より欧米志向の対立勢力と政治的影響力をめぐって争っているレバノンとイラクだ。両国では多くの人がイランあるいは米国が報いを受けるべきだと思っている。たとえピッチの上だけであっても。

イランと米国の両方に災いが降りかかることを願う人たちもいる。

バグダッド中心街のあるカフェは店の外に両国の国旗を掲げていたが、近くにいたハイダル・シャカールさんは、「どちらもイラクの敵であり、この国に悪影響をおよぼしました」と話した。「これはスポーツの大会で、両国はそれに参加している。私たちにとってはそれだけのことです」

29日の米イラン戦に先立ち、この試合のことを「レバノンの外では初となる対戦」とおちょくるミームが拡散した。グループリーグを突破した方が「イラクを得る」と揶揄するツイッターユーザーもいた。

イランが支援するヒズボラは、1975年~1990年のレバノン内戦が終結しても武装解除しなかった唯一の武装組織だった。同組織はレバノンをイスラエルから守るのに武器が必要だと言っており、国内の経済危機の一因は米国による制裁だと主張している。

対立勢力は「イランによる占領」だとしてヒズボラを非難しているが、国民の多くは米国とイランはどちらもレバノン国内の問題に干渉していると責めている。

イラクでは、2003年の米国主導の侵攻によって激しい暴力と派閥間衝突の時期が何年も続き、イランが支援する政治派閥や民兵組織が空白の大部分を埋めた。

イランが支援する民兵組織と米軍は過激派組織ダーイシュとの戦いにおいては同じ側に立っていたが、ダーイシュ撃退以降は何度か交戦している。

レバノンとイラクはどちらも長年にわたる政治的行き詰まりとの闘いを余儀なくされており、イランの同盟勢力と対立勢力との間に主要な断層線が走っている。

イエメンでは、2014年に親イランのフーシ派が首都および北部の大部分を掌握した。同派はそれ以来、米国の同盟国であるサウジアラビアとUAEが支援する諸派閥と戦争状態にある。

シリア内戦では、イランはバッシャール・アサド大統領の政府を支持し、欧米は反体制派の一部を支援した。

パレスチナでは、イランはハマスとイスラム聖戦を後押ししている。両過激派組織はイスラエルを認めておらず、長年にわたって多数の攻撃を行っている。

ベイルートとバグダッドでサッカーファンにインタビューしたところ、米イラン戦に対する複雑な感情が明らかになった。

ヒズボラ支持の中心地であるベイルート南郊では、イラン国旗をまとった若い男性たちが、「米国に死を」と書かれた旗が吊るされているカフェに集まってこの試合を観戦していた。

アリ・ネフメさんは、「私たちはサッカーでも政治でもその他の全てでも反米です」と話した。

「神はレバノンとイランと共にあります」

ベイルートの反対側の海浜遊歩道にいた住民のアリネ・ヌーエイヘドさんは、「あれだけの災難をもたらしたイランはもちろん応援しません。断然米国を応援します」と話した。ただ彼女は、米国も「私たちを100%は助けてくれない」と付け加えた。

試合は米国がイランを1対0で下し、イランは敗退、米国はトーナメント進出が決まった。試合後のベイルートの街の反応は、その前日に(レバノンでは人気がある)ブラジルがスイスに勝った時よりもずっと静かなものだった。

バグダッドでは、アリ・ファデルさんはイランを応援していた。「隣国だしアジアの国」だからという。

「イラクとイランには多くのつながりがあります」

ヌール・サバさんは米国を応援していた。

「強いチームだし、(米国は)世界を支配しているから」という。

イラク北部のクルド半自治地域のエルビルでも、ファンの反応は様々だった。

ザイナブ・ファクリさん(27)は米国を応援していた。「女性の革命を弾圧しているイラン体制を懲らしめてほしい」という。

同じカフェにいたアラス・ハルブさん(23)はイランを応援していた。

「イランの方が好きです。私の家族は戦争中にそこに逃げることができたし、イランの人たちは親切なので」

サード・モハマドさん(20)は引き分けになってほしいと思っていた。

どちらかが勝てば、ただでさえ警戒すべき治安情勢が悪化しかねないからだという。

地元の人々が米国の勝利を祝えば「イランがロケット弾を打ち込んでくるのではないかと心配です」と彼は話した。

イランのサポーターたちは見るからに敗北を悔しがっていたものの、観衆は試合後に騒ぎを起こすことなく会場を後にした。

前回の米イラン戦は1998年のワールドカップの時で、イランが2対1で米国を下して敗退させたことは有名だが、この時は地域の政治が試合に影を落としていた。

イランで米国が支援するシャー体制がイスラム革命によって倒され、抗議者らが米大使館を占拠して長期化した人質事件が起きてから20年経っていなかったのだ。

1998年のリヨンではスタジアムにフランスの機動隊が配備されていたが、出番はなかった。両チームは一緒に写真に収まり、イランの選手たちは米国の選手たちに白いバラを贈ることまでした。

今年の対戦では、イランの全国的なデモが忠誠を混乱させており、公然と米国を応援するイラン人もいる。

イランの選手たちは初戦開始前の国歌斉唱を拒否し、デモへの連帯を示したと見られたが、第2戦前には一転して国歌を歌った。

テヘランの一部の地区では試合後、現地時間で深夜を過ぎていたにもかかわらず、人々が「独裁者に死を!」と唱えた。

スポーツの政治学を研究しているジョージタウン大学カタール校のダニエル・ライシェ客員准教授は、ワールドカップでどのチームを応援するかは、深く分断された国においてさえ、必ずしも政治的所属の指標となっていないと指摘する。

レバノン国内のスポーツは「高度に政治化」されており、主要なバスケットボールクラブやサッカークラブは特定の政治傾向や宗派を持っているという。

しかしワールドカップの場合(レバノンは出場したことはないが)、ファンはいくつものチームに飛びつくのだ。

このことは地域全体に当てはまる。リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドのジャージを着たファンがガザ地区にもアフガニスタンにもいる。

ライシェ客員准教授は次のように語る。「ワールドカップは、所属する義務があると考える国ではなく単純に好きな国を選ぶ自由を人々が持つ数少ない領域の一つだ」

AP

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