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バグダッドの米国大使館に3発のロケット弾攻撃

2020年1月24日、全豪オープンテニストーナメント5日目女子シングルスの試合前に写真に収まるチュニジアのオンス・ジャバー(左)と、デンマークのキャロライン・ウォズニアッキ。(AFP)
2020年1月24日、全豪オープンテニストーナメント5日目女子シングルスの試合前に写真に収まるチュニジアのオンス・ジャバー(左)と、デンマークのキャロライン・ウォズニアッキ。(AFP)
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28 Jan 2020 08:01:39 GMT9
28 Jan 2020 08:01:39 GMT9

チュニジア、ハンマーム・スーサ

28日にソフィア・ケニンにストレートで敗れたことはオンス・ジャバーの活躍にふさわしい筋書きとは言えなかったが、全豪オープンで準々決勝に進出したチュニジア出身の彼女の躍進は、すでに今大会のハイライトのひとつになっている。

今大会の活躍により世界ランキング50位以内入りが確実となった25歳のジャバーは、ジョアンナ・コンタとキャロリン・ガルシアを破り、3回戦では今大会限りでの引退を表明していた元王者キャロライン・ウォズニアッキの輝かしいキャリアに終止符を打った。

4回戦でワン・チャンを破ったジャバーは、オープン時代になってからの4大大会で初めて8強に残ったアラブ人選手となった。

「4大大会で準々決勝に残れる力があることを証明できたと思います。ですが肉体的も精神的にも、改善できる点はたくさんあります」準々決勝でケニンに6-4、6-4で敗れた後、ジャバーはそう語った。

「自分が数多くの素晴らしいことを成し遂げられるということを自分自身に証明できました。今回のようなプレーができたことを嬉しく思います。私は自分に厳しすぎるときもありますが、特にタフでストレスがかかる場面ではもっとできるはずだと思っています。

もっと経験を積めば、プレッシャーにもうまく対処できるようになるでしょう」

ジャバーの活躍はテニス界にとどまらず、スポーツといえばほぼサッカー1色の地元紙でも軒並み1面を飾った。さらに、チュニジアのカイス・サイード大統領も電話で労いの言葉をかけ、「女性と若者たちのお手本だ」と彼女を評した。

「彼女のラケットの一振り一振りがチュニジアの誇りです」サイード大統領はそう述べた。

海沿いのリゾート地スーサの近くにあるハンマーム・スーサの小さな街出身のジャバーが3歳で初めてラケットを握ってから、現在に至るまでには長い道のりがあった。

最初に所属したテニスクラブを辞めた後、ジャバーは通っていた学校のテニス普及センターに加入した。このセンターを運営していたナビル・ムリカが、4歳から13歳までジャバーのコーチを務めた。

「オンスは他の誰よりも優れた才能と勝ちたいという気持ちを持っていました」ムリカはAFPの取材でそう語っている。

10歳の時点ですでに、ジャバーは高い目標を持っていた。

「彼女はお母様に対して何度か『いつかローラン・ギャロスでコーヒーをおごってあげる』と言っていました」ムリカはそう語る。

「私はちょっとした冗談だと思っていましたが、彼女はとても真剣だったようです。まさに魔法のようです」

当時ジャバーが所属していたクラブにはコートがなく、近隣のホテルのコートで練習を行っていた。現在では、10面のコートに放課後の子どもたちが集まり、誰もがオンス・ジャバーの名前を口にしている。

天賦の才を持つジャバーは、チュニスのエル・メンザにある国内最高のアスリートたちが集まるスポーツスクールに12歳のときに入学した。

「オンスは並外れた技術的才能を持っていました」チュニジアテニス連盟の元テクニカルディレクター、ヒチェム・リアニはそう話す。

「彼女はとても快活で、ダイナミックで、親しみやすく社交的で、素晴らしいユーモアのセンスを持っていました」

彼女と同じチームに所属していたメフディ・アビドは、ジャバーが他の女子たちを常に圧倒し、男子とトレーニングすることを好んでいたと当時を振り返る。

「彼女が男子のトーナメントに参加して勝ち進むようになると、女子に負けたことでやる気をなくす選手もいたようです」メフディはそう語る。

2011年、ジャスミン革命がチュニジアに民主主義をもたらした頃、16歳のジャバーは全仏ジュニアオープンを制した。この優勝は彼女にとって「今までテニスをやってきた中で最高の思い出」となっている。

ジャバーは北アフリカ出身としてジュニアの4大大会を制した初の選手となった。

コーヒーの味は格別だった。

6年後、彼女はパリのクレーコートで再び存在感を示し、アラブ諸国出身の女子選手として4大大会で初めて3回戦進出を果たした。

この時の2回戦の相手は当時世界ランキング7位だったスロバキアのドミニカ・チブルコバで、彼女にとっては厳しい戦いだった。

今回の全豪オープンの活躍により、ジャバーはアラブ人選手として初めて主要大会で8強入りを果たした。エジプトのベッツィー・アッバスが1960年の全仏大会で準々決勝に進出しているが、当時はまだ現在のようなオープン大会ではなかった。

ジャバーは16歳でチュニジアを離れたが、今回の全豪オープンに向けて地元に戻り、コーチのイッサム・ジャレリと、夫でフィットネスコーチのカリム・カモウンと共に準備を行ってきた。

彼女は自分の活躍が新世代のテニスプレーヤーたちの希望になることを願っている。

「オンスはアフリカ全体の代表ですし、個人的にも大きな希望をもらっています」17歳のエリス・マルアーニはそう話す。

「彼女の成功によってもっと頑張ろうと背中を押されましたし、決して諦めてはいけないということを教えられました」

AFP

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