
マウデ・シャリフィ&モアイウィア・アトラシュ
イドリブ:地震によって国内で1,900人以上が死亡し、2,500人以上が負傷したシリアの北西部では、72時間が経過した後も捜索・救出活動が続いている。
何百もの家族が倒壊した建物の瓦礫の下に埋もれて行方不明になっているため、犠牲者の数は今後も増えると、専門家らは予想している。
ダナ町のある生存者がアラブニュースに、月曜朝に目撃したことについて語った。
モハメド・タタさんは現地時間の月曜午前4時15分に、ゴロゴロという音と激しい揺れで目覚めた。
少し後に、建物が倒壊する音を耳にした。自分がいる建物のものか、隣の建物のものか分からなかった。2度目の揺れの後にようやく、子どもたちと共に階下へ急いだ。
「自分たちが揺れているのだろうか?下の地面が揺れているのだろうか?通りに出た時、近所の人たちと建物が地面に倒れているのを目にした。泣き叫ぶ男性たち、女性たち、子どもたち。終末の日の場面のようだった」と、タタさんはアラブニュースに語った。
タタさんは瓦礫の下に閉じ込められた無力な子どもたちの叫び声を思い起こし、「とても胸が痛む、本当にとても胸が痛む」と述べた。
タタさんのような一部のシリア人は、地震によって、12年にわたる内戦中に都市や町を爆撃が襲った時に経験した以上の恐怖を感じた。
タタさんはアラブニュースに次のように述べた。「私はアレッポの爆撃を経験した・・・・・・飛行機が爆撃を行い、砲弾が建物に命中した・・・・・・それでも、私はこんな恐怖を感じたことはなかった」
タタさんは戦争によって国内避難民となった数百万のシリア人の1人だ。
「私たちはアレッポとそこにいた友人や親類から離れて、ここにやって来て、新たな友人や親類と出会ったが、また失うことになった。彼らは逝ってしまった」とタタさんは泣き崩れながら述べた。
この数日間、生存者の証言がシリアの苦境をよく表している。
戦争のダメージが回復しないうちに、自然災害が治りきらない傷にさらなる痛みを加えている。
ハレム町からのシリア民間防衛隊チームの一員であるオバダ・ジクラさんは、最初にマグニチュード7.8の地震が発生した月曜の早朝から活動していた。
「人道的大惨事が起きている」とアラブニュースに語った。
時間は刻々と過ぎ、先進機器やリソースの不足が地域における救出活動を難しくしている。
「被害地域が広範にわたっているため、重機の使用が非常に困難な状況となっている」とのことだ。
ジクラさんはアラブニュースに対し、400棟以上の建物が崩れ落ちたと述べた。
生存者救助に向けた必死の努力の中、多くの一般市民がボランティアで夜を徹して活動し、瓦礫の処理にあたっている。
地域の救助隊と生存者たちは、外国政府や組織からのさらなる支援を要請している。
「私たちは国際社会と支援が可能なあらゆる人道団体に対し、この大災害に苦しむシリアの人々への支援を続けるよう懇願する」とジクラさんは述べた。
この災害は、以前から続いている困難をさらに悪化させた。シリアの政治的立場と12年の内戦による分断が、国際的支援の供給を極めて困難にしている。
今回の危機にあたって、すぐさま支援に乗り出したのは近隣の国々だ。
サウジアラビアをはじめとする多くのアラブ諸国は、迅速に地震被害への救援を開始した。アラブ首長国連邦(UAE)も支援を約束するとともに、捜索活動を手助けするため救助隊を派遣している。