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レバノンのシリア難民、地震による近親者の死を嘆く

シリアのアレッポ県、反政府派が支配する地域の町ジャンダリスで、地震による犠牲者の墓地を歩く男性。2023年2月9日(Bakr Alkasem / AFP)
シリアのアレッポ県、反政府派が支配する地域の町ジャンダリスで、地震による犠牲者の墓地を歩く男性。2023年2月9日(Bakr Alkasem / AFP)
シリアのアレッポ県、反政府派が支配する地域の町ジャンダリスで、地震による犠牲者の墓地を歩く男性。2023年2月9日(Bakr Alkasem / AFP)
シリアのアレッポ県、反政府派が支配する地域の町ジャンダリスで、地震による犠牲者の墓地を歩く男性。2023年2月9日(Bakr Alkasem / AFP)
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11 Feb 2023 05:02:58 GMT9
11 Feb 2023 05:02:58 GMT9
  • 被害地域から帰国したレバノン市民防衛隊員によると、「都市がいくつも、丸ごと破壊されました。我々は生存者の救出を手伝いました」

ベイルート:レバノンの町アーサルで暮らすシリア難民たちは、シリアとトルコで発生した地震で亡くなった近親者への弔問を受け付ける場を設けた。

2月10日時点での統計では、アーサルのシリア難民コミュニティに暮らす人の親族少なくとも72人が、地震で犠牲になった。

犠牲者の中には、アーサルの難民キャンプで数年間生活した後で最近になってアレッポ近郊の町ジェンデレに戻っていた人もいた。

「地震の被害は恐ろしいものです。毎日、誰かの死の知らせが入ってきます」とアーサルで暮らすシリア人難民のアブ・フェイルーズ氏は話した。

フェイルーズ氏はアラブニュースに、以下のように語っている。「私は娘と、孫2人を亡くしました。身内の半分はホムスとクサイルの田舎から逃れてきました。11年前にレバノンに逃れた者も、北へ移動してアレッポの田舎に行った者もいます」

犠牲者の大半はバッカー、サトゥフ、ラドワン、アル・アベド、ヤシンの一族だという。

「身元確認のために遺体の写真が送られてきます。我々の携帯のフォトギャラリーは、死体の写真で一杯なのです。

負傷者の搬送先も様々で、皆家族を探そうと必死で努力しています」

アブ・フェイルーズ氏の叔母はがれきの下で生き埋めになった。救助隊が彼女の声を聞いて駆け付けたが、その時にはすでに手遅れだった。

彼女の娘、義理の息子、孫たちも同じ場所で遺体で発見された。

アーサルの難民キャンプを管理するアブ・モハメド氏は以下のように説明した。「死者の中にはここに逃れてきた後、郊外で軍とテロ組織の戦闘があってから他に移ったサトゥフ家の若い男性たちもいます」

この一家の人々はジェンデレで倒壊した建物の下敷きになって亡くなったという。

また、最近アーサルからシリアに戻ったカルズーン家の若い夫婦も地震の犠牲になったとモハメド氏は話した。

レバノン国内にいる難民たちは、極寒の中でもテントで暮らせているだけ幸運だと感じている。

ある難民はこう話した。「ここで甘やかされているように感じています。故郷で建物の下敷きになった同胞の姿を目にすると、文句など言える立場ではありません」

モハメド氏は次のように続けた。「キャンプで暮らす全員に衣類や食料、現金の寄付を呼びかけました。シリアにいる家族を支援できるような仕組みを探しているところです」

難民の権利のために働く活動家アブ・アフメド・サイバ氏によると、東部の町アル・ブワイダだけで死者は50人を数えるという。

彼らは内戦中にアレッポの田舎にあるこの町に逃れ、今回の地震で犠牲になったという。

サイバ氏はさらにこう続けた。「恐ろしい悲劇です。私たちの心は政権支持派か反対派かを問わず、シリア国民一人一人とともにあります」

地震はすべての人に等しく影響を与えたため、「政治的な立場のことを気にしている時間はないのです」

「政治指導者たちは、残念なことに私たちをテロリストと見なし、それに基づいて援助物資の割り当てを行っています」とも氏は述べた。

レバノンではすべての救援・人道関連機関を動員してシリアの人々を援助しようとしている。

ソーシャルメディア上では、衣類やベビーフード、毛布の寄付を呼び掛ける声が広まっている。

レバノンの親シリア派各政党はシリアの都市タルトゥースに援助隊を派遣した。

10日、レバノンの援助隊の1つがトルコのカフラマンマラシュ県で3日間の捜索救助活動を終えて帰国した。

この援助隊には、レバノン軍工兵部隊、赤十字、市民防衛隊、ベイルート消防隊などが参加した。

市民防衛隊のメンバー、ユーセフ・マッラー氏はアラブニュースに対し、次のように話した。「我々が見たものは、言葉にできません。この悲劇の巨大さを語ることができるのは、涙だけでしょう。都市がいくつも、丸ごと破壊されました。夜はマイナス20℃、朝は5℃の気温の中で作業しました」

マッラー氏は以下のように続けた。「地震発生後最初の72時間は、生存者の捜索支援が任務でした。海外から派遣されたチームは倒壊した建物の前を通っては、目印を付けて去ります。

レバノン国内での経験から言えば、倒壊した建物を木の柱で支えて、その中で生存者の捜索をする手法は知っていました。

人々が駆け寄ってきて、家族をがれきの下から出してくれるよう我々に頼みました。彼らの信頼を受け、生存者を救出することができました」

帰国の理由についてマッラー氏は次のように説明した。「最初の72時間を過ぎると、一般的に生存の確率は下がります。もっとも、神しかご存じないことではありますが」

「しばらく休息を取ってから、シリアでの援助活動に参加する予定です。必要があれば、トルコにも再び向かうでしょう」

シリアの都市ジャブラでも、レバノンから派遣された同様のチームによる捜索救助活動が4日目に入ったと、レバノン軍司令部が明らかにした。

ヒズボラとその協力者から成る閣僚級代表団は8日、ダマスカスを訪れてシリアのバッシャール・アサド大統領と面会したことで激しい批判を浴びた。

多くのレバノン国民が、この訪問は閣議の承認を経たものではないと考え、人道危機を利用してレバノンとシリアの政権の間を橋渡ししようという試みだと批判している。

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