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パレスチナの対イスラエル交渉を率いたアフマド・クレイ氏が死去

元パレスチナ首相で、イスラエルとの暫定和平合意の立役者だったアフマド・クレイ氏が2023年2月22日(水)に死去した。85歳だった。(AP)
元パレスチナ首相で、イスラエルとの暫定和平合意の立役者だったアフマド・クレイ氏が2023年2月22日(水)に死去した。85歳だった。(AP)
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24 Feb 2023 02:02:04 GMT9
24 Feb 2023 02:02:04 GMT9
  • 1993年のオスロ和平合意における中心人物であったクレイ氏は、交渉中にパレスチナ人の国家樹立の夢が高まるのを目の当たりにした

ラマッラー:元パレスチナ首相で、イスラエルとの暫定和平合意の立役者の一人だったアフマド・クレイ氏が死去した。85歳だった。

1993年のオスロ和平合意における中心人物であったクレイ氏は、交渉中にパレスチナ人の国家樹立の夢が高まるのを目の当たりにした。

しかし、イスラエル・パレスチナ紛争に対する二国家解決の見込みがかつてなく遠ざかっていく中、その希望が薄れるていくのも目にした。

パレスチナのマフムード・アッバース大統領は22日、クレイ氏の死去を正式に発表した。死因は明らかにされなかったが、心臓の病気を患ってしばらく体調を崩していたという。

公式通信社WAFAが伝えたところによると、アッバース大統領は声明の中で、「アブ・アラア(クレイ氏のニックネーム)は先頭に立って祖国と同胞の大義を守った」と述べた。

1937年にヨルダン川西岸地区の東エルサレム郊外にあるアブ・ディスで生まれたクレイ氏は、1968年にファタハ運動に参加した。

同運動の創設者である故ヤーセル・アラファト元パレスチナ大統領の指導のもとで急速に出世し、1989年に意思決定機関である中央委員会のメンバーになった。パレスチナ解放機構(PLO)の執行委員会のメンバーでもあった。

オスロではパレスチナ代表団の団長を務め、イスラエル側との集中的な交渉を行って1993年の和平合意につなげた。この合意のもと、パレスチナ自治政府が設立され、パレスチナ人の領土に自治区が設定された。

その後のイスラエルとの交渉の中で、2004年までに在任した全てのイスラエル首相(イツハク・ラビン首相、アリエル・シャロン首相、シモン・ペレス首相、ベンヤミン・ネタニヤフ首相、エフード・オルメルト首相など)、および米国のビル・クリントン大統領やジョージ・W・ブッシュ大統領と会談した。

合意から30年経った今、和平交渉は崩壊している。イスラエルはヨルダン川西岸地区における入植地建設に拍車をかけ、イスラム過激派のハマスがファタハに忠実な勢力を駆逐してガザ地区を掌握した後には同地区を封鎖した。特にヨルダン川西岸地区において、イスラエルとパレスチナの間の暴力が再び激化している。

2013年にオスロ合意20周年を記念して行われたAP通信によるインタビューの中でクレイ氏は、もし自分が今知っていることを当時知っていたら合意を結ばなかっただろうと語った。

エルサレム郊外のアブ・ディスにある同氏のオフィスで行われたインタビューの中で、同氏はこう言った。「このような入植地ができると知っていたら?ノー。エルサレムが封鎖されると知っていたら?ノー。言語道断だ」

パレスチナ自治政府設立後の1996年に行われれた最初の議会選挙でクレイ氏は議席を獲得し、パレスチナ立法評議会議長を務めた。

2003年、パレスチナ自治政府初代首相のアッバース氏が辞任すると、アラファト氏はクレイ氏を後任に据えた。

クレイ氏は2006年まで首相を務めた。その年に行われたパレスチナの第2回選挙では過激派組織ハマスが地滑り的勝利を収めた。

クレイ氏は首相在任中、エジプトのセメントをイスラエルに販売した企業に同氏の家族が利害関係を持っている(イスラエルはそのセメントを使ってヨルダン川西岸地区の分離壁を建設した)と非難した報道をきっかけに論争の的になった。

AP

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