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スーダンが混乱に陥り、内戦で疲弊したシリア人が抱いた安全の幻想が打ち砕かれる

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05 May 2023 04:05:57 GMT9
05 May 2023 04:05:57 GMT9
  • スーダンは、内戦での暴力によって自国を追われた数千人のシリア人の避難先となっていた
  • スーダンはシリア人にビザなし入国を許可し、2014~2019年に約30万人を受け入れた

ロンドン:シリアの体制と反体制派の間の長期化している紛争が始まった時から、シリア人たちは大挙して国外に逃れた。陸路や海路など利用できるあらゆる経路で、生命の危険を冒して家族と共に密出国した人々もいた。

2014年以降、様々な民族的背景を持った数十万人のシリア人が外国に移住することで内戦の暴力や残虐行為から何とか逃れることができた。

スーダンでやっと新しい安定した生活を見出したばかりで、この国では暴力や破壊は過去のものになるだろうと期待していたシリア人たちからすれば、同国で戦闘が勃発し略奪や避難が起こっていることは、戦争の影が国境を越えて追いかけてくることの証拠だと思えるだろう。

戦乱のスーダンから逃れようと、ボートに乗るために並ぶ人々。2023年4月28日、ポートスーダン。(AFP) 

4月15日、アブドゥルファッターフ・アル・ブルハン将軍率いるスーダン国軍とモハメド・ハムダン・ダガロ将軍率いる準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間の一触即発の対立が沸点に達した。

双方は、戦闘を開始したのは相手の方だと互いに非難し合った。この戦闘は間もなく首都ハルツームをはじめとしてスーダンの都市や町の多くを飲み込むこととなった。

ハルツームにおける国軍とRSFの戦闘が激化する中、外交筋によると最初の数日間で15人のシリア人が死亡し、数千人が避難先のこの国から逃れることを余儀なくされた。

ハルツームに住んでいたシリア人医師のタレク・アラベドさんはアラブニュースに対し、「シリア人の多くはここのところ、避難という言葉に付きまとわれています」と語る。

「私は数日前に首都ハルツームを逃れ、国外退避に備えて紅海に面したポートスーダンに行くことを余儀なくされました」と話す彼は、ポートスーダンの状況を「苦痛」と表現した。

「主にシリア人を乗せたバスが毎日数十台到着していました」

悲しくなった光景があったという。「国外退避する人々の中でシリア人が最も少なかったのです」

28日に船に乗った人々のうち、シリア人は「2000人以上のうち40人くらいしか」いなかったという。

「まるで、私たちはどこへ行こうと戦争に見つかってしまうかのようでした」

スーダンから大量の人々が避難する中、約1900人をポートスーダンから紅海経由でサウジのジェッダのキング・ファイサル海軍基地まで運ぶフェリーに乗った避難民たち。2023年4月29日。(AFPファイル)

シリア外務省は4月26日、シリア・アラブ通信を通して声明を出し、「スーダンに住むシリア人の状況を多大な懸念を持って注視している」と述べた。

続けて、「退避プロセスを支援するために兄弟国・友好国と連絡を取った」としたうえで、サウジアラビアのおかげでシリア人数百人が東部の都市ポートスーダンから出国できたと強調した。

スーダンでは発泡剤製造業で働いていたというアイハムさん(ファーストネーム以外は匿名希望)は、「留まっているシリア人は多くありません。私の知り合いはほとんど出国しました」と話す。

徴兵義務を逃れるために2017年にもう一人の同国人の若い男性と共にハルツームに来たアイハムさんは、多くのシリア人は状況がさらに悪化し大規模な難民の波が発生することを見込んでいると言う。

「RSFの基地があるバフリのカフーリ地区など、シリア人コミュニティーが最も集中している地区で衝突が起こっています」

「リヤド地区にも大きなシリア人コミュニティーがありますが、そこでも衝突が発生して住民の大半が自宅からの避難を余儀なくされました」

医師のアラベドさんによると、ハルツームのシリア大使館はスーダンに住むシリア人の人口を3万人と推定していたが、これは非スーダン人コミュニティーとしてはイエメン人に次いで二番目に大きいという。

シリアのバッシャール・アサド大統領による2011年のデモ弾圧とそれに続いた内戦により大規模な国外脱出が起こり、数十万人のシリア人がスーダンに逃れた。(AFPファイル)

彼によると、シリア人の大半はハルツーム北部に住んで工業、農業、投資などの部門で働いているという。

ラマダンの終わりと共に停戦するよう人道的な呼びかけが行われたにもかかわらず、イード・アル・フィトルの休暇中も銃撃は止まなかった。

シリア内戦が始まってから12年以上が経つが、「迫撃砲」「衝突」「断水・停電」「路上の死体」といった言葉に関しては「私たちシリア人は慣れていません。それらの経験を思い出すことは今でも非常に辛いことです。スーダン人にとってもそうであるはずです」とアラベドさんは言う。

「スーダンでは過去にも軍事的対立はありましたが、首都で起こった衝突はありませんでした。これは私たちにとってこれまでで最悪の経験の一つです」

ハルツームの大統領宮殿の入り口に立つ戦闘員たち。スーダンの準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が2023年5月1日に公開した動画からのキャプチャー画像。(AFP)

4月15日の戦闘勃発はハルツームの人々に不意打ちを食らわせた。アラベドさんは自身の経験を振り返って次のように語る。「スーダンの対立する二つの陣営の間のある種の言葉による緊張なら過去に何度も目にしてきましたが、大抵は両陣営が会合を開くことで終わっていました。今回の衝突が始まる僅か数日前にもそのようなことがありました」

「確かに増強部隊が首都や北部のメロウェに来てはいましたが、人々は日常生活を続けていました」

「あの日はラマダン中で、夜遅くまで市場が開いていました。しかし皆、翌朝起きてこの不幸なニュースを知ったのです」

衝突発生後の最初の数日間は、停電やインターネット接続障害のせいでハルツームに住むシリア人たちと連絡が取れなかった。

「今のハルツームはほとんど空っぽです」とアラベドさんは言う。「外国人が退避しただけでなく、スーダン人(の多く)も遠くの安全な国に避難しました」

対立する二人の将軍の軍隊の間の激しい衝突が3週目に入る中、人けがなくなった通り。2023年5月1日、ハルツーム。(AFP)

十分な経済的余裕がないため避難できず、長時間の停電に耐えるしかない人もいるという。

「断水や生活必需品・サービスの欠如も3週目になります。そのせいでパニック状態になっています」

スーダン保健省によると、戦闘により2日時点で500人以上が死亡、約4000人が負傷している。暴力と混乱が続く中、諸外国は自国民を陸路、海路、特別救助フライトで退避させている。

しかし、ハルツームにはまだ数百万人のスーダン人が閉じ込められており、食料が底をつきかけている。市内の医療施設の70%が戦闘により閉鎖を余儀なくされている。

スーダンの前首相であるアブダッラー・ハムドゥーク氏は29日、この紛争はシリアやリビアの内戦よりも酷いものになる可能性があると発言した。両国の内戦は何十万人もの死者と難民を出し、地域全体を不安定にした。

同氏は次のように述べた。「世界にとっての悪夢になると思う。これは軍と小さな反乱勢力の間の戦争ではない。ほとんど二つの軍の間の戦争のようなものだ」

ノルウェー難民問題評議会は29日に公開された記事の中で、スーダンの状況は「最悪のケースのシナリオ」だとしたうえで、燃料が底をつきかけていること、銀行や商店の多くが略奪を受けていること、水道、電気、食料、通信網などの基本サービスへのアクセスが難しくなっていることを指摘した。

2011年以降内戦で荒廃した自国から逃れてハルツームに避難してきたシリア人を支援するプロジェクトの一環として、料理をするシリア人女性。2015年11月、ハルツームのイヴ・キッチン(アラビア語ではハワ)。(AFPファイル写真)

アイハムさんは、「政治的動きによって引き起こされた治安上の混乱のせいで」スーダンの事態は悪い方向に向かっていると思うとしたうえで、「銃を使った強盗が蔓延しており、多くのシリア人が被害に遭っている」と指摘する。

断水や停電が治安悪化や暴力といった問題に追い打ちをかけており、戦闘で破壊された地区ではパン屋の多くが店を閉めたままだ。

アイハムさんは語る。「この10日間で治安状況だけでなく生活全般が非常に困難なものになっているので、シリア人の大半はポートスーダンに向かうか近隣諸国に避難するかしています」

スーダンに避難しているシリア人が嫌な結果(さらに悪ければ再びの戦争)を恐れて荷物をまとめるのはこれが初めてではない。

シリア内戦が勃発した2011年から、長年の独裁者だったオマル・アル・バシール大統領(当時)が打倒された2019年までの期間は、暴力や苦しみから逃れて遠い国で生活を立て直したいと思っていたシリア人たちにとってスーダンは安全な避難先だった。

スーダンはシリア人にビザなし入国を許可し、2014~2019年に約30万人を受け入れ、投資・教育・医療の権利や市民権まで与えた。国内メディアの報道によると、2016年には4000人のシリア人がスーダンのパスポートを与えられた。

レストラン「シャウェルマット・アナス」の外で待つシリア人たち。ハルツーム。(ロイター、ファイル写真)

ユセフさん(安全上の理由により仮名)はダマスカスからアラブニュースに対し、「多くの大使館がシリア人に門戸を閉ざしたため、彼らはスーダンに集まり始めました」と語る。

スーダン政府の姿勢はシリアの隣国であるレバノンと比べても大違いだと彼は言う。「レバノンでは全体的に歓迎しない雰囲気です。当局はシリア人に対し、15日間を超える滞在には後援者が必要だと言っています」

しかし、2019年にスーダンの暫定政府が発足するとシリア人を取り巻く事情は変わり、数千人が国を出た。入国ビザも求められるようになった。その後、2021年に軍事クーデターが起こると「スーダンのシリア人の数は大きく減少し6万~7万人になった」とアイハムさんは言う。

スーダンで戦闘が続く中、自国の内戦から逃れてきたシリア人たちは再び別の行き先を探さなければならない。(AFP)

戦闘が続くスーダンから避難しているシリア人たちは、戦争と避難を少なくとも2回経験して心に傷を負っており、近いうちに帰国できるという希望は抱いていない。

医療の分野で良い仕事のオファーを受けてスーダンに来たアラベドさんは、「残念ですが、スーダンの状況がすぐに緩和するとは思いません。私が間違っていれば良いのですが」と語る。

スーダンの今後について暗い予想をする理由についてはこう説明する。「私は最近、ハルツームで起こっていることと1975年のレバノン内戦の始まりを比較するようになりました。あの紛争は結局長期化し、どの側も終結を望みませんでした」

「両陣営ともに自分たちが紛争を解決できると考えています。また、悲しいことに、犠牲を払っているのは民間人なのです」

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