パレスチナ人は、イスラエル政府が5月21日、アルアクサ・モスク地下に掘削したトンネル内で週次閣僚会議を行ったことに怒りをあらわにしている。
23日、パレスチナ政府のムハンマド・シュタイエ首相はUNESCOに対し、イスラエルによるエルサレム東部での掘削作業を注視するよう訴えた。
イスラエルは何十年にもわたって、アルアクサ・モスク地下で「ソロモンの神殿」の発掘という根拠の乏しい考古学的動機に基づいた掘削作業を行い、支配を正当化しようとしてきた。
しかし何年にもわたる工事の末、パレスチナの地には自分たちの遺産があると主張しながらも、イスラエルは未だにアルアクサ・モスク周辺と自分たちの歴史を結びつける発見をできずにいる。
パレスチナ人は、トンネル掘削のせいでアルアクサ・モスクが小さな地震によって崩壊してしまうのではないか、と恐れている。
パレスチナ政府のイブラヒム・メルヘム報道官は、アルアクサ・モスク地下で行われたイスラエル閣僚会議は「このモスクおよびエルサレム東部の支配・占有を正当化するものではない」とアラブニュースに語った。
パレスチナ政府はUNESCOに対し、アルアクサ・モスクに及ぶ被害の可能性を調査する専門家および代表団を派遣するよう要請した、とメルヘム氏は述べた。
「イスラエルの過激派は、この極めて神聖なモスクを破壊し、その残骸の上にソロモンの神殿を建てようとしていることを隠そうともしていない」とメルヘム氏は述べた。
アルアクサ・モスクを標的にしたこれらの行為は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、反対運動の広がる中、イタマル・ベングビール国家安全保障相を中心とする同陣営内の過激派からの恐喝に答えるものだ、とメルヘム氏は述べた。
パレスチナ人は、アルアクサ・モスクを標的とした結果、イスラエルとパレスチナの紛争は政治的なものから宗教的なものへと変化し、一帯を暴力の終わらない応酬に引きずり込むことになる、と警鐘を鳴らしている。
第二次インティファーダあるいはパレスチナ蜂起は、2000年9月28日、当時のイスラエルの反体制派リーダーのアリエル・シャロン氏が1000人以上の重装警官隊・軍隊を引き連れてアルアクサ・モスク構内に突入した後に始まった。
その結果、こうしてアルアクサ・モスクに突入することが、その11月に行われた最後のイスラエル議会選挙で過激派リーダーらが得票数を上げるための戦略となった。
何人ものイスラエル極右派が、連日アルアクサ・モスク構内に侵入することで、パレスチナ人に対する挑戦的・挑発的な態度を表明した。
2017年7月、UNESCO世界遺産委員会は、1967年から行われたイスラエルはエルサレム市街に対し主権を持たないとの決議を採った。イスラエル考古学庁によって行われたエルサレムでの掘削作業を非難したものだ。
アルアクサ・モスクの説教師であるイクリマ・サブリ氏は、イスラエルはアルアクサ・モスク周辺を含む地域全体で包括的な掘削作業を進めていた、と述べた。
掘削作業の目的は「ユダヤ人に帰属する遺物の発掘調査だというが、1967年の占領以来行われてきた大規模な掘削作業にも関わらず、古代ユダヤ人の歴史にまつわる遺物や石造物は何も見つかっていない」とサブリ氏は語る。
また「イスラエル当局が行ってきた掘削作業の結果、1996年にムジャーヒディーン通りのオマリヤ学校からアルブラクの壁のある区域まで、アルアクサ・モスク西側の壁に沿って空けられたトンネルの上にある多くのパレスチナの建造物にひびが入った」と同氏は加えた。
パレスチナ人は、掘削作業は同地区におけるイスラエルの占領状況を強固にし、ひいては同地区をユダヤ化しようとするシオニストの計画を進めようとするものだ、と考えている。
アルアクサ・モスクの地下にはおよそ12個のトンネルが掘られ、450メートルに達するものもある。掘削によって、 地上または地下にあるウマイヤ朝からオスマン帝国時代に至るまでの数々の歴史的遺物が組織的に破壊されることにつながった。
アルアクサ・モスクはイスラム教徒にとって、メッカの聖モスク、マディーナの預言者のモスクに次いで、世界で3番目に神聖なモスクである。