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パレスチナのアッバース大統領、ジェニン難民キャンプの再建を明言

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13 Jul 2023 02:07:39 GMT9
13 Jul 2023 02:07:39 GMT9
  • アッバース大統領による12日の同キャンプ訪問は、2005年以来初となった
  • 自治政府はヨルダン川西岸地区を部分的に統治しているが、ジェニンを含め同地域における複数の武装勢力拠点に対する支配力の大半を失っている

ジェニン:パレスチナのマフムード・アッバース大統領は12日、これまで滅多に訪れることのなかったジェニン難民キャンプを短時間訪問し、同キャンプの再建を明言した。支配下にあるヨルダン川西岸地区の同キャンプは、1週間前のイスラエルの襲撃により大半が破壊され、死者が出る事態となっていた。

10年以上にわたって同キャンプへの訪問を行っていなかった87歳のアッバース大統領は、今回の訪問中にジェニン難民キャンプを「苦難の象徴」と呼んだ。アッバース大統領が同キャンプを訪問していなかったこの期間、パレスチナ自治政府の犠牲の下に武装勢力が人気を獲得してきた。

先週2日間にわたって行われたイスラエルによる襲撃は、数百人規模の部隊、ドローン攻撃、武装ブルドーザーが投入されるこの数年で最大の作戦となり、パレスチナ人12名、イスラエル兵1名が死亡した。

イスラエルは、人口が密集し、イスラム聖戦機構やハマスをはじめとする武装勢力の拠点となっているこの都市部地域を「テロのハブ」とみなし、昨年初めごろから頻繁に武力攻撃を行ってきた。

イスラエルと安全保障面で協力関係にあるパレスチナ自治政府に対する大衆の不満はジェニンにおいて爆発寸前の状況となっている。先週、同キャンプを訪れたマフムード・アルール副議長をはじめとするアッバース大統領のファタハ党幹部らに対し、群衆はヤジを飛ばした。

12日、アッバース大統領は声援を送る支持者に対する短い演説で、ジェニンの再建と治安を支援すると決意を表明し、同キャンプを「不動と苦難の象徴」だと述べた。

「私たちはひとつの権威、ひとつの国、ひとつの法である、ということをお話しするために来ました」アッバース大統領はそう述べ、「団結と市民の安全に干渉する」者に対して警告を発した。

アッバース大統領はジェニン難民キャンプおよびより広範囲にわたる都市の再建を監督し、「元通り、あるいはそれより良い状態に」復興させると誓った。

訪問の最後にアッバース大統領は、先日のイスラエルによる襲撃で命を落としたパレスチナの人々の墓に花輪を供えた。

先週の襲撃を受け、多くのアラブ諸国が同キャンプの支援を表明した。

アッバース大統領の到着に先駆け、大統領防衛部隊の数百名の兵士が同キャンプの路上を巡回し、各建物の屋上に狙撃手が配置されていたとAFPのジャーナリストは語る。

アッバース大統領の訪問は、「彼が占領に抵抗するパレスチナの人々と共にある、という力強く重要なメッセージ」だと、ファタハ党の事務局長を務めるアッタ・アブ・ルマイラ氏は、同キャンプにてAFPに対して語った。

イスラエルは1967年の第三次中東戦争以来ヨルダン川西岸地区を占領しており、同国軍は定期的にパレスチナの各都市に攻撃を仕掛けている。

アッバース大統領はパレスチナ自治政府の首都であるラマッラーからヘリでジェニン難民キャンプへと向かったが、この訪問はわずか1時間ほどで終了した。

アッバース大統領には、自身の後を継ぐ可能性のあるパレスチナのムハンマド・シュタイエ首相、パレスチナ解放機構のフセイン・アル・シェイク事務局長が付き添った。

アッバース大統領は演説で、パレスチナの安全を「蝕んでいる」武装勢力らに遠回しに脅しをかけた。

「ひとつの権力、ひとつの治安部隊が存在することになります。その団結と安全を蝕もうとする者は、報いを受けることになるでしょう。人々に害をなし、彼らの安定を脅かさんと伸ばされる手は切り落とされることになります」アッバース大統領はそう述べた。

アッバース大統領の到着に先駆け、同キャンプでは地元の武装勢力ジェニン旅団を支持する子どもたちの集団が、「カティバ、カティバ、カティバ」と声を上げた。

アッバース大統領が去った後、27歳のアラー・ワシャシ氏は同キャンプの武装勢力を擁護した。

「ジェニン旅団は私たちの誇りであり名誉です。彼らの存在は私たちの存在の一部です」同キャンプに住むワシャシ氏はそう話す。

「私たちはパレスチナ政府の怠慢によって苦しんできたというのが真実です。大統領はそれを自身の目で見なければなりません」

ジェニン難民キャンプは、イスラエルが誕生した1948年に家を追われた(パレスチナ人はこの事件を、大惨事を意味する「ナクバ」と呼んでいる)76万人のパレスチナ人の一部に住居を提供するため、1953年に設置された。

時を経て、同キャンプの当初のテントはコンクリートの建物へと姿を変え、現在では都会の一地域のようになっている。

約1万8,000人が暮らすジェニン難民キャンプは、2000年代初頭の民衆蜂起、第2次「インティファーダ」の際には活動の温床でもあった。

繰り返されるイスラエルの襲撃と、同地域におけるパレスチナ自治政府の存在感の不足により、この18カ月間で同キャンプの治安状況は悪化してきた。

アッバース大統領は2012年にジェニンを訪れているが、この時は同キャンプへの訪問は行わなかった。

パレスチナ自治政府は同市に多少の存在を残してはいるが、ジェニン旅団をはじめとする武装勢力に同キャンプの大半を明け渡す形となっている。イスラエルはジェニン旅団がイランの支援を受けていると主張している。

アッバース大統領は以前、ヤーセル・アラファト大統領の死去を受けてパレスチナ大統領選に出馬した際の2004年にジェニン難民キャンプを訪れている。

AFP

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