国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、その名が示すように、1948年の戦争で強制的に故郷を追われたパレスチナ難民の救済活動を主な任務とする限定的な組織である。それから75年近くが経った今、同機関は不可欠な組織であり、それはそのサービスのためではなく、世界中のパレスチナ社会の記憶でもある。
難民問題は、パレスチナ解放機構とイスラエルとの和平合意に向けた主な障害となってきた。オスロ・プロセスの主な弱点のひとつは、その交渉メカニズムにパレスチナ国外にいるパレスチナ難民や、ヨルダン川西岸地区とガザ地区以外のUNRWAの活動地域であるレバノン、シリア、ヨルダンといった公式受け入れ国の代表が十分に含まれていなかったことだ。
将来の和平合意には、何百万人もの難民を満足させ、紛争に終止符を打つような詳細な要素が含まれなければならない。問題は複雑で、その最たるものが帰還の権利、責任の承認、難民としての補償、財産補償、そして返還である。政治家がそれぞれの有権者に売り込めるような合意で問題を解決するのは難しいかもしれないが、紛争当初から難民一人ひとりと接してきた機関がなければ、そのような合意の履行は不可能だろう。この機関がUNRWAであるのは、その本来の任務のためではなく、その副産物であり、制度的空白のためにUNRWAが唯一の機関として残されているためである。
もともとこのような組織だったわけではない。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、パレスチナとイスラエルの紛争の重荷をすべて背負うような存在ではなかった。1949年12月、国連総会決議302によってUNRWAが設立されたとき、その1年前に国連総会決議194によって設立されたパレスチナ調停委員会という別の組織がすでに存在していた。
国連パレスチナ調停委員会(通称UNCCP)には紛争解決の権限があり、国連決議には難民とエルサレムを扱う項目があった。UNCCPは1960年代初頭に活動を停止したが、紙面上ではまだ存在し、194号決議が更新されるたびにマンデートは更新される。また、貴重なアーカイブも残された。
国連難民高等弁務官事務所のような後の機関は、パレスチナ難民をその任務から除外した。1951年難民条約の第1条Dには、既存の国連機関からすでに保護や援助を受けている難民には条約は適用されないと記されている。つまり、パレスチナ難民は除外されていたのだ。これはアラブ諸国の要求によるもので、国連難民高等弁務官事務所の任務には帰還だけでなく再定住の選択肢も含まれていたため、アラブ諸国はこれに反対した。国連難民高等弁務官事務所の任務には、帰還だけでなく再定住の選択肢も含まれていたからだ。当時、UNRWAは難民が帰還するまでの間、登録、教育、保健といった必要不可欠なサービスを一時的に提供するために存在していた。
1990年、マドリード和平会議を前にして、あるジャーナリストが私にUNRWAについての本を手渡した。UNRWAには約3万2000人の職員がいる。そのうち100人強が国際スタッフで、残りは難民と、難民に直接サービスを提供するために訓練された現地スタッフである。UNRWAの統治機構は国連の基準に従っている。この機関が常に財政危機にあり、赤字で運営されているという事実は、確かに消耗を強いるが、そのことが、より弾力的で効率的なスタッフを生み出してもいる。
紛争当初から難民一人ひとりと向き合ってきた機関でなければ、実施することは不可能だろう。
ナディーム・シェハディ
UNRWAをめぐる現在の議論は、激しく感情的なものである。イスラエルはUNRWAが難民問題を永続化させていると非難している。難民自身は、帰還の権利の保証の一部として難民キャンプにしがみついている。受け入れ国での統合、あるいは彼らが「タウィーン」と呼ぶものは、彼らの権利を奪う恒久的な再定住の解決策を提供するものとみなされている。難民がキャンプ改善の取り組みに抵抗する例もあるが、それは快適すぎることも恒久的な再定住につながる可能性があるからだ。
どちらの主張も間違っている。UNRWAを閉鎖するというイスラエルの要求は、難民問題を解決するものではない。難民の権利のための最も熱心な運動家の中には、トロントやボストン、あるいはヨーロッパのような場所で、たとえ別の国籍を持っていたとしても、快適に暮らしている人たちがいる。正義の要求は政治的なものであり、人道的なものではない。
同時に、難民キャンプを悲惨な状況に維持することが、公正な解決の可能性を高めるわけでも、状況を改善することが可能性を下げるわけでもない。シリアのパレスチナ難民を研究した人類学者ネル・ガビアム氏は、これを「苦しみの政治学」と呼んでいる。難民キャンプの開発には、もともとの生活様式の記憶と、それに続く移住の両方の要素が組み込まれている。例えば、家族が同じ建物に住むとか、息子が結婚して実家の上にフロアを作るといったことである。
将来の解決策や終結のために最も重要なのは、たとえそれが過去のことであり、もはや存在しないとしても、強制的な移住や強制退去のトラウマを認識するという要素である。国連パレスチナ難民救済事業計画(UNRWA)のアーカイブは、国連難民高等弁務官事務所(UNCCP)のアーカイブやその他の初期の記録とともに、そのような認識を構成するものであり、癒しのプロセスに不可欠なものである。
UNRWAは、そのサービスを必要とする現在の難民と接触しているだけでなく、その登録アーカイブを通じて難民認定を預かる機関でもある。イスラエル人とパレスチナ人の間のいかなる賠償も、それが金銭的な補償や財産の返還のような有形であれ、認知のような無形であれ、UNRWAが何世代にもわたって難民と接してきた経験と接触の積み重ねを必要とする。責任を認める、象徴的な記念碑を建てる、過ちを認めるといった無形の賠償も、それを行うのに最もふさわしいUNRWAを通じて行うことができるだろう。
現在の状況では、平和は夢物語のように感じられる。私たちは本格的な戦争に突入しそうな瀬戸際にあり、和平合意は目前にない。平和協定が結ばれるとしても、それは遠い未来のことだ。だからこそ、UNRWAを存続させることが何よりも重要なのだ。もし今UNRWAが閉鎖されれば、和平合意のためにUNRWAを再建することは不可能になる。
数世代にわたって地域全体に影響を及ぼしてきた紛争はいずれ解決され、和平は提案された解決策の実現可能性にかかっている。合意があっても、それを実施する機関がないというのは悲劇である。その時が来れば、UNRWAの予算を削減し、その閉鎖を求める人々は、UNRWAを最も懐かしく思うだろう。