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集団的トラウマと創造性

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09 Sep 2021 11:09:03 GMT9
09 Sep 2021 11:09:03 GMT9
  • 同時多発テロは、アメリカ社会、映画、大衆文化に影響を与えたが、その影響は深く、長く続くものであった。

ウィリアム・マラーリー

ドバイ: 火曜日の朝、アメリカ東部標準時で午前9時を過ぎたころ、アメリカ人はテレビ画面を通しておそらく最大級のトラウマを受けた。ニューヨークのツインタワーに2機目の飛行機が激突したのだった。この瞬間はその後も人々の脳裏に刻まれ、あらゆる面で文化を形成することとなった。

テレビ画面を通して、後に映画やその他の文化に反映されることになる悲惨な光景がさらに映し出された。煙と炎から逃れようとビルから飛び降りる男性の姿があった。

悲嘆に暮れるかのように崩れ落ちていくタワー。ロウアー・マンハッタンを覆う煙や瓦礫。街並みやパトカー、そして生存者たちにまで降り注いだねずみ色の灰。

この光景が忘れられず、心の傷が完全には癒えない理由の一つは、その中に理由や解決策、説明を見出せないからだ。あの恐ろしい9.11の事件がどれほど多くの疑問を生んでも、簡単に見つかる答えはなく、その後数日経っても納得のいく説明は見つからなかった。

アメリカ人が必要としていたのは答えだった。ポップカルチャーはその答えを提供してくれた。何よりも映画やテレビの世界では、作品がいかに素晴らしい思考の枠組みを提供できるかが成功の鍵であり、多くの場合、慰めになるものであればあるほどよい。

同時多発テロ後の数ヶ月間、最も人気のある映画は、世俗的ではあるが最も満足のいく答えを提供してくれた。観客は『ロード・オブ・ザ・リング』のオープニング上映に集まった。善と悪が明確に定義され、明確に対立し、善の側の純粋な精神がすべてに打ち勝つことができる世界に慰めを見出した。また、ハリー・ポッターの第1作目『賢者の石』で観客は、愛と団結が、密かに忍び寄る悪意を持った力に打ち勝つことができるとみた。

しかしこの枠組みを現実の世界に当てはめることで、アメリカ答えを求めようとする気持ちが、最も暗い衝動を引き起こしたのだった。国の上層部を含むアメリカ人の一部が、すぐさまアラブ人やイスラム教徒を真の悪に仕立て上げたのだ。この考えは9.11の朝に生まれたものではなく、単に対象を再設定し明確化しただけであった。

あの運命の日の後、全米でアラブ人がヘイトクライムの対象となり、イスラム恐怖症の感覚が広く受け入れられるようになった。アメリカは現実世界から着想を得た悪役をスクリーン上に求めるようになり、『24』や『HOMELAND』などの人気テレビ番組に、イスラム教徒のテロリストが登場するようになった。

この傾向は現在も多くの映画やテレビで見られ、『エンド・オブ・キングダム』や『ジャック・ライアン』などの映画では、少し脚色しただけで同じような設定が使い回されている。

9.11以降の世界は、アラブ系俳優にとってチャンスと傷心両方の場となった。2008年に公開された、エジプト系アメリカ人ヘシャム・イサウィ監督の映画「AmericanEast」では、その経験がわかりやすく描かれている。

アメリカ文化に溶け込もうとするさまざまなアラブ系移民を描いたこの映画の中で、オマールという人物が俳優として成功しかけていた。それまでの一番の当たり役は、アメリカでテロを起こすイスラム過激派の役だった。その成功をきっかけに幅広い役柄に挑戦できるようになるだろうという彼の希望は、すぐに打ち砕かれる。

あるシーンでオマールは、偶然にもイスラム教徒の医師としてネットワークTVドラマの主役に起用される。しかし撮影現場に到着すると、その役はカットされており、イスラム教徒のテロリストに変更されていた。さらにその役に人間性を見出そうとする彼に対し、憤慨した制作者側はこう言った。「彼はテロリストだ。憎しみに満ちている。それだけを演じればいいんだ」

不公平なことに、オマールは自分の夢を追うか、自分と自分の仲間の人間性を奪い取るかどちらかを選ばなければならない。これは現実世界の俳優が、さらに切迫した状況で下さなければならなかった決断だ。さらにひどいことに、米国内外のアラブ人はメディアへの露出の機会が無く、価値観や実在する人間としての基本的な人間性を欠いた人物像が描かれ続けている。

また、当時9.11やそれに端を発した戦争を描いた映画は、興味を持たれないことが多かった。2009年には、イラク戦争を描いたキャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』がアカデミー作品賞を受賞したが、この作品はアカデミー作品賞を受賞した作品中最低の興行収入を記録した。これは、映画界で最も権威のある賞であっても、これらの出来事についての考察を文化的精神に植え付けるには不十分であることを示している。

世界が必要としているのは、さらなる疑問ではなく答えなのだ。そして映画ファンが信頼できる真理があるとすれば、ヒーローがすべての答えを持っているということだ。2000年代初頭、『24』のジャック・バウアーがテレビ界の文化的アイコンとなったのは、この奔放なヒロイズムの考え方があったからだ。人々は9.11と同じような出来事を描いた番組を楽しんだ。その中心には、すべてを理解し、なぜそれが起きているのか、どうすればそれを止められるのかを知っている男がいたからだ。

さらに重要なのは、9.11以降の映画界では、スーパーヒーローというジャンルが台頭してきたことだ。スーパーヒーローというジャンルは、これまでスーパーマンやバットマン以外には定着していなかったが、2002年の『スパイダーマン』を皮切りに、映画の主要なジャンルとなり、現在もその地位を維持している。

クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』やザック・スナイダー監督の『スーパーマン』では、あの悲惨な火曜日の朝の、煙、崩壊するビル、落ちる人々などの直接的なイメージを用いた。そうすることで、過去に見た空想上の世界ではなく、私たちが生きてきた実際の世界をスーパーヒーローが救っているように感じさせたのだ。

そして、それらを凌駕するように、マーベル・シネマティック・ユニバースが誕生した。そこにはアメリカ国民が求めていた、彼らを納得させてくれる物語が詰まっていたのだった。『キャプテン・アメリカ』では、アメリカの善良さを明確に理解することへの欲求が満たされ、暗黒の時代に立ち向かうことを余儀なくされた純真さが具現化された。『アイアンマン』では、アメリカの創意工夫がイスラムの過激主義に打ち勝った。そして『アベンジャーズ』では、9.11そのものがエイリアンの軍隊によって再現されたかのようだった。勝利するための唯一の方法は、共通の目標に向かってアメリカ国民が草の根的に団結することではなく、自分たちに代わってその仕事をしてくれるヒーローに頼ることだった。

アメリカは、スクリーンに登場させる現実世界のヒーローも見つけることになる。米海軍特殊部隊のスナイパー、クリス・カイルは、クリント・イーストウッド監督が2014年に製作した映画『アメリカン・スナイパー」で描かれ、その年の最高興行収入を記録し、戦争映画としては歴代最高の興行収入を記録した。『アメリカン・スナイパー 』は、10年以上にわたって「対テロ戦争」映画を悩ませてきたニュアンスを取り払い、マーベルヒーローのような確かな信念を持ち、「自分は悪人を殺す善人であり、正当化できない行為などしたことがない」という明確な理解を持つキャラクターに置き換えた。

多くの観客は、カイルが期待していた「キャプテン・アメリカ」ではなかったことに目をつぶり、代わりにマーベル・ヒーローの「パニッシャー」(アイコンが米国の特殊部隊で人気の怪力のクライムファイター)を崇拝することにした。そのため、この映画は当初の評価以上に物議を醸すことになった。

もちろん、暗い話ばかりではない。アメリカ映画が絶好調だったのは、批判的視線を内に向け、思いやりを持って国外を見ていた時だった。アラブ系やイスラム系の映画やパフォーマーが賞レースで目立つようになり、『ラミー 自分探しの旅』などのテレビシリーズでは、突然自分たちが社会から疎外されたことに気づいたアラブ系アメリカ人の視点から9.11を描いている。

この20年間クリエイティブ・コミュニティに存在していた駆け引きは、おそらく9.11直後に見つけられるべきだった答えに向かって、ようやく動き始めたようだ。そういった平和、共存、そして共通の人間性を認識することこそが悪に打ち勝つのに必要なのである。敵を文化全体として雑に認識すれば、より多くの問題を引き起こすだけだ。

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