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アルビン・クルティ: 政治犯から首相へ

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17 Feb 2022 01:02:20 GMT9
17 Feb 2022 01:02:20 GMT9

アルビン・クルティ氏は、コソボ共和国の2008年の独立宣言以降6人目の同国首相だ。セルビアの元政治犯で、反体制運動ヴェテヴェンドシェ(自決)の指導者である同氏は、コソボが大きな試練に直面する中で、権力を掌握する。

1975年3月24日、旧ユーゴスラビアのコソボ自治州の州都プリシュティナで生まれたクルティ氏は、モンテネグロにルーツを持つアルバニア人の家系の出身だ。プリシュティナ大学在学中の1997年8月には、非暴力抗議活動に参加し、セルビア軍による大学の敷地の占拠を終わらせようと圧力をかけた。

1998年3月にコソボ紛争が始まったことでクルティ氏は政治の道を歩み始め、最初はコソボ解放軍(KLA)総合政治代表局の秘書を務めた。しかし、まさにその翌年には、セルビア警察に逮捕され、投獄される。2000年には、「ユーゴスラビアの領土保全を脅かした」として、15年の刑を言い渡された。

裁判中に、クルティ氏が「自分は我が民族の法廷によってのみ裁かれる。この法廷は認めない」と発言したのは有名だ。政治犯だった時に拷問を受けたとの報道もあるが、国際的な圧力を受けて、セルビアは同氏の釈放に同意した。2001年12月7日、クルティ氏はポジャレバツ刑務所から釈放された。

クルティ氏は学部での勉強を再開し、2003年にプリシュティナ大学でコンピュータ・サイエンスと電気通信の学位を取得した。引き続き活動家として運動を続け、社会変革、人権、社会正義を擁護するコソボ・アクション・ネットワーク(KAN)に関わった。クルティ氏はまた、戦争で行方不明になった人々の家族を支援するための非暴力的抗議活動を組織することにも関わった。

2005年6月、クルティ氏はコソボ・アクション・ネットワークの他のメンバーとともに、ラヴィジャ・ヴェテヴェンドシェ(LVV)を政党として登録した。活動家らは、国際連合コソボ暫定行政ミッションの建物に、LVVのスローガンである「交渉ではなく、自決」という言葉をスプレーで書いた。非暴力運動であるにもかかわらず、LVVのメンバーはその活動により、しばしば逮捕、投獄されることになった。

クルティ氏は2010年に初めて首相候補となったが、自身の政党であるヴェテヴェンドシェは120議席中14議席しか獲得できなかった。2014年の選挙では、再び首相に立候補した。

2017年の選挙でヴェテヴェンドシェは議席を倍増させ、コソボの第一党となった。2019年10月の解散総選挙でヴェテヴェンドシェが最多得票率を獲得した後の2020年2月初旬、クルティ氏はついに首相となった。

クルティ氏はコソボの選挙不服審査委員会から2021年の議会選挙への出馬を禁じられたが、ヴェテヴェンドシェは圧倒的勝利を収め、権力支配を強固なものにした。

クルティ氏は、コソボがまず少数派のセルビア人やEUと交渉を行い、その後セルビアと協議することを希望している。また、最終的な合意は自分の首相在任中に実現可能だと考えている。

アルバニア語、英語、セルビア語に堪能なクルティ氏は、多くの国々の大学で講演に招かれている。リタ・オージェスタッド・クヌーセンと結婚し、レアという娘がいる。

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