
サウジアラビア王国は、300年前から続く長い歴史を歩んでいる。今日の私たちが知るサウジアラビアには、その歴史に埋め込まれ、またその歴史から湧き出てくる、過去、現在、そして未来がある。
イマーム・ムハンマド・ビン・サウードによる国の創設は、2月22日に祝われ、アブドルアジーズ国王による統一は国家の日として知られ、9月23日に祝われている。
このアラブニュース創設の日プロジェクトを通じて、私たちはサウジアラビアの歴史のあまり知られていなかった素晴らしいところ、ディルイーヤ・ゲート開発局に所属する研究者、歴史学者の協力によってつい最近明らかになった情報を、ゆっくりと、細部にわたって、紐解いてきた。
実に細部までこだわった、詳らかなプロジェクトだった。何年にもわたって、今日サウジアラビアとして知られる地は、ただの砂漠地帯としてみられ、ムスリムたちにはメッカとマディーナの地として愛され崇敬されてきたにも関わらず、ムスリム世界の外では詳しく知られていなかった。アラビア語に親しくなければ読めないいくつかのアラビア語文献、回顧録を除いて、その地とそこに住む人々についてはほとんど知られていなかった。
そんな中、私たちの創設の日を祝うことは、つまるところ、私たちはどこからやってきたか、また私たちの現在そして未来は、それらが共に重要な文明の礎の上に立っていることをいかによく語るものか、ということについて、思い出させてくれるものである。
他国に脅かされたことのないサウジアラビア王国の豊かな歴史は、昔から伝わる本物の文化の一面を今日の私たちにも見せてくれる
ヌール・ヌガリ
私たちは歴史学者と労を惜しまず綿密に協力し、アラビア語の歴史回顧録や写本、文献を英語に翻訳して、今まであまり馴染みがなく、よく知られていなかったことに光を当てた。今まで長い間アラビア語でしか触れることのできなかった素晴らしいサウジアラビアの歴史のページに光を当てよう、というのが私たちの考えである。
そうした文献は、私たちの実に興味深い歴史、私たちの全てが誇りに思う、そして誇りに思うべき歴史を明らかにしてくれる。
ディルイーヤはただのユネスコ世界遺産ではなく、その建物の一つ一つ、レンガの一つ一つに至るまで、その中に隠れた歴史がある。確かに、そこは私たちの指導者たちが生まれた場所、アール・サウードの遺産が敷かれ、今もなお繁栄を続ける場所だが、それだけでなく、そこは王国が象徴するもの、つまり植民地化されたことのない国の中央をなすのだ。
他国に脅かされたことのない豊かな歴史は、昔から伝わる本物の文化の一面を今日の私たちにも見せてくれるからして、これ自体極めて素晴らしいことである。
去年、ディルイーヤの歴史学者バドラン・アル・ホナイヘン博士は、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下を、第一次サウード王国第3代君主イマーム・サウード・ビン・アブドルアジーズ(大王)になぞらえた。二人の比較は素晴らしいものだ。どちらも先見の明があり、どちらも開拓者であり、そして何より重要なこととして、二人の治世は、どちらも黄金期と呼ばれる時代であることだ。
創設の日に、サウジアラビア国民は彼らの伝統、文化、そして歴史を祝う。5つの異なる地域からなり、みな独自性を持っているが、共通の歴史を祝い、その懐に抱かれる時には、それらは一体となる。
私たちの調査で見つかった、今まで知られなかった素晴らしい歴史のうちの一つは、モディ・ビント・アビ・ワタン王女だ。彼女は第一次サイード王国君主の妻であっただけでなく、彼の腹心の友、助言者でもあった。
コミュニティのための有名な慈善基金シブラト・モウディは、今日まで根強く残っている。その立地はよく考えられており、サルワ宮殿の東側、アトゥライフ地区の南東部に位置する。
歴史学者による膨大な量のインタビューと調査により、一つのことが明らかになった。サウジアラビア女性は、サウジアラビア王国の歴史に極めて重要な役割を担ってきた、ということである。危難の時における彼女らの勇敢さを伝える物語に加え、彼女らの寛大さをうたった詩もたくさん書かれてきた。
今日でも、私たちは彼女らを崇敬し、尊重することは忘れていない。
創設の日を祝うのは、未来の世代にわたって尊重し、大事にしてゆく伝統である。私たちは自分たちの歴史を大切にする。私たちは現在栄え、明るい未来を楽しみにしている。
300年の安定、安全、繁栄、おめでとう。
サウジアラビア創設の日、おめでとう!
ツイッター: @NoorNugali