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ヒズボラの武装解除を待っていては、レバノンはカオスに陥るだけだ

デモ活動中に国旗を振る反政府デモ参加者。レバノン、ベイルート。2020年1月14日。(写真・AP通信)
デモ活動中に国旗を振る反政府デモ参加者。レバノン、ベイルート。2020年1月14日。(写真・AP通信)
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06 Jun 2020 08:06:48 GMT9
06 Jun 2020 08:06:48 GMT9

またしても、危険も顧みず、レバノンではデモ隊が街に繰り出すこととなった。数は限られるとはいえ、デモ隊がここまでベイルートの大統領府の間近にまで迫ったことはなかったし、憲法の完全な遵守をここまで公然と求めたこともまたなかった。女性が主体のわずかばかりの勇気ある参加者らは、国連安保理決議1559および1680を見据え、その実施を求めるプラカードを掲げるまでにいたった。レバノンが国家主権を回復する上で必須となるヒズボラの武装解除を彼ら彼女らが求めているのは火を見るよりも明らかだ。

2004年に採択された安保理決議1559では、安保理は、レバノン国外の干渉・影響の加担を受けない憲法上のルールに則ってレバノン大統領選挙が自由かつ公正におこなわれることを支持すると宣言している。また、レバノン国内に残存する全外国軍のレバノン国外への撤退も求めている。さらに関連条項では、レバノン人と非レバノン人とにかかわらず、全武装民兵組織の解体および武装解除も要求している。

2006年採択の安保理決議1680では、シリアとの間でレバノン国境を画定することを「強く促し」、さらに安保理決議1559全要件の完全実施も求めている。むろん、ヒズボラのような武装民兵組織の武装解除も1559の求めるところだ。それがどうだろう。あれから15年にもなろうというのに、ヒズボラは野放しのままその武器備蓄は肥大するばかり、シリアもまたぞろ影響力を取り戻しはじめたかのようなありさまだ。

政治の世界では昨日の敵は今日の友、というのもまた確かだ。安保理決議1559の採択時、ミシェル・アウン大統領はパリに亡命中で、決議に賛同していた。その以前にも、2003年の米国のシリア問責・レバノン主権回復法成立も強く求める立場だった。これはレバノン国内からシリアの影響力を縮減することを目的としたものだ。アウン氏は当時、シリアを非難し法を守るとする証言まで米議会でおこなっている。

しかし今では、事態は嘆かわしくも皮肉にねじれ、レバノン国内に最後に残った武装民兵組織ヒズボラと手を取り衷心から支持するのはアウン氏その人だ。あまつさえ、アウン氏周辺はもはや反ヒズボラ・反シリアの決議の味方ですらない。制裁対象に成り下がっていることを自認する始末なのだ。言うまでもないが、今月発動される米政府のカイザー・シリア市民保護法はシリア政府とその戦争犯罪の支持者らを対象とするが、当然ヒズボラとその支持勢力にも適用されるはずだ。

2005年にアウン氏がレバノンに帰国する直前、私はパリで同氏と面会しインタビューをした記憶がある。その時点ではアウン氏はレバノンが完全な国家主権を保持することに明らかに賛同していた。これはつまり、レバノン国内からシリアを追い出すだけでなく、ヒズボラやパレスチナ人民兵組織を武装解除する、ということも意味する。当時のレバノンの政治指導者らの覇気のなさも難じていたその人が、いまではその同類だ。なぜアウン氏はヒズボラと手を結んだのか。「3月14日運動」指導部が同氏としては当然あずかれると思っていた地位を委ねるのを拒んだためなのか、それとも、レバノンの置かれた今後数年の地政学的な趨勢からはイランとの融和がうかがえると読んだ上でのことなのか。憶測はいまだ尽きない。

レバノンでは現実政治はつねに無慈悲だ。アウン氏はヒズボラと明確な同盟を組み公然と協調してはいる。が、そもそも長年レバノンの政治指導者らはヒズボラの現状に不満はないか黙認する姿勢だった。イランがバックについているような武装組織と立ち向かうとなれば、国際社会からの助けを当てにするなど夢物語も同然だ。地政学的な変化もあれば自分の命も危ないとなれば、夢を見ている暇などない。

レバノンが完全な主権国家として立つ、などという考えが政治的に完全に破綻したことは、サアド・ハリーリー前首相が離任する数か月前におこなったテレビインタビューで明かしている。「ヒズボラがかくも強大になったのは私とは関係ないことだ」と同氏は言った。ヒズボラの兵力は地域または世界に関する問題であって、イランの件とも関わっており、したがって国内問題とはならない、というのだ。また、こうも述べていた。

「ヒズボラは政権運営主体ではない。私は政権を担っているし、アウン大統領も大統領として国を司っている」。が、ハリーリー氏が担っていたのは見かけだけの政権だ。ヒズボラの指導を仰ぎ、エマニュエル・マクロン仏大統領との友情を使って制裁から守ろうとすらした。同意を拒んだり、積極的でなくても抵抗したりする姿勢を見せることすらなかった。アウン氏のように同盟は組まなかったため、ハリーリー氏はヒズボラの望むものはすべて都合してやった。これは現ハッサーン・ディヤーブ首相も踏んでいる轍だ。

長年レバノンの政治指導者らのほとんどは、ヒズボラの現状に不満はないか黙認する姿勢だった。

ハーリド・アブー・ザフル

そうであってもヒズボラがイラン問題の一角をなすことに疑いはない。イランにしてみれば、これほど役に立つ道具もないからだ。なにしろ、レバノン政府など造作もなく転覆させられそうだし、同時に、イスラム指導者らの政治・宗教方針まで世界へ普及させてくれるのだから。

わずかばかりのデモ参加者が、しかしこの問題をあえて口にした。が、ほとんどのアナリスト、なかんづく昨年10月17日の抗議運動へ支持を表明した者ですら、いまはヒズボラの武装問題を取り上げるべきときではないと言明するにいたっている。その理由は、そんなことをすればヒズボラ支持の地域住民の賛意を得られず、むしろそうした者も抗議活動に取り込むには腐敗問題を取り上げるべきだというのだ。こんな主張は畢竟するに筋違いもいいところだ。シーア派住民は、ほぼヒズボラかアマルを支持する。他方で、さまで原理主義的とはいえなくとも、他宗派はそれぞれの宗派の指導者を支持するのであるから。

結局のところ、デモ参加者らが前進できる唯一のスローガンは「あらゆる政治勢力は引け」でしかなかったはずだ。

が、こうしたスローガンの実現を強いるのは難い。そんなプラカードを掲げているその脇で敵はカラシニコフを掲げ、しかも平気で発砲すると来ているのだ。銃を突き付けられれば、「あらゆる政治勢力は引け」だったものも、「あらゆる政治勢力は引け、だが、おたくが引かないならうちも引かない」と早変わりする。

デモ隊の言うことは正しいのだ。ヒズボラの保有する武器の影響力こそが、レバノンという国そのものの腐敗や亡失とつながっているのだから。特定のあるグループがその望むところを指示し、一切の行動に何の責任も取らなくてよい、そんなところに法の支配や主権などあろうはずもない。魚は頭から腐る、とはよく言ったものだ。

ヒズボラ政権はもともと拒絶していた国際通貨基金(IMF)との協定締結をいまでは求めている立場だ。が、その折も折、新型コロナウイルスの感染拡大により浮き彫りとなった惨憺たる経済状況から、極端な変化も招きかねない情勢だ。特にいまは飢餓が蔓延し、国際社会も関心を示せない時期だ。混乱さらには暴力をともなう衝突が発生すれば、ヒズボラみずからがその非対称対決戦略の標的にもなりかねない。

ヒズボラがその優位性の柱である軍備を放棄するのを待っていては、レバノンはカオスの坩堝と化してしまうこと必定だ。私はかつて、西側諸国のある外交官に、なんとかしてヒズボラの武装解除はできないものかと問うたことがある。完全に解体してしまわねば軍としてもこれを見届けたとはいえないのではないか。返ってきた答えはこうだった。ヒズボラとて、だれもその役割を望まなくなれば、消滅するでしょう。史上、非国家軍事組織というのは大体そうなっていますから。そのころ私はレバノンにも主権はいずれ行き渡るという強い思いをもっていた。だからその後を問わなかった。だが、いまは違う。いまなら、こう問うはずだ。ヒズボラが消滅した姿とは、ヒズボラがレバノンの支配者となったことを言うのか、それとも武器を引き渡したことを言うのか、と。

ハーリド・アブー・ザフル氏は、メディア・テック企業ユーラビアCEO。また、アル=ワタン・アル=アラビ誌編集人。

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