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イランはいかにして今もソレイマニの「長期戦」を戦っているのか

2020年1月7日に撮影されたこの資料写真の中で、殺害されたガセム・ソレイマニ最高司令官の故郷ケルマンで行われた葬儀の最後の段階で、イランの会葬者らが集まっている。(AFP)
2020年1月7日に撮影されたこの資料写真の中で、殺害されたガセム・ソレイマニ最高司令官の故郷ケルマンで行われた葬儀の最後の段階で、イランの会葬者らが集まっている。(AFP)
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03 Jan 2021 09:01:21 GMT9
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ほんの少しの間、1年前のガセム・ソレイマニの暗殺は2020年の「ニュース」だった。イランとの戦争が差し迫っているだけでなく、中東全体のより広い地域での紛争も差し迫っているという人騒がせな予測にアナリストは熱狂していた。それどころか2020年は、暗殺が現状をほとんど変えなかったことで注目に値することが分かった。

バグダッドでのソレイマニの暗殺は、トランプ大統領の任期中の外交政策における最大のギャンブルだったが、ジョージ・W・ブッシュのイラクでの冒険的試みやバラク・オバマのリビアでの戦争ほど大胆ではなかったかもしれない。トランプ政権が説明した、ソレイマニ襲撃の表向きの理由は、イラクにある空軍基地へのロケット攻撃による米国市民の殺害だった。それは明らかな挑発行為で、ソレイマニの革命防衛隊の指示に従う代理人に関連したものだった。

トランプのファンにとっては、ソレイマニへの襲撃は大胆で、決定的で、正確で、成功した。トランプを非難する人たちにとっては、性急で、無謀で、いたずらに挑発していた。このように批判する人たちは、この襲撃のせいで、イラクに駐留する米軍がイランからミサイル攻撃を受け、米兵100人が負傷した、と指摘することができる。

しかし中東では、予想されていた紛争が起こらずに1年が過ぎた。臆病者は吠えなかっただけでなく、ほとんど鳴かなかった。おそらくイランは、イラクにある米空軍基地へのミサイル攻撃を、軍の上級司令官を標的にした殺害と釣り合う対応、宣戦布告を合理的に正当化できる行為だと考えている。イランが自制した別の理由は、ソレイマニの暗殺の5日後にウクライナ国際航空752便が撃墜され、乗客乗員176人全員が死亡し、そのうち150人近くがイラン人だったことにおけるイランの役割だったかもしれない。こうした巻き添え被害は、アヤトラ・ホメイニ師に沈思と沈黙の時間をもたらしたかもしれない。実際、イランは航空機撃墜における自国の役割をしぶしぶ認めただけだった。

いずれにしても、ソレイマニの暗殺に対応するイランの行動により、イランの地政学への取り組みに対する見識が高いことが明らかになっている。ソレイマニが率いていたコッズ部隊は、テロ計画および中東の代理人を、長期間にわたるチェスの試合の一部とみなした。彼らはチェス盤の数手先を研究できるほど辛抱強く、相手が政治的要因やその他の要因のために我慢できなくなっているかもしれないことを認識する。イランは衝動的あるいは軽率に行動したいという誘惑に耐えることに長けており、彼らの利益にかなうなら、たとえチェス盤上の大事な駒を犠牲にすることになるとしても、相手の政権や政府に粘り勝とうとする。

ソレイマニの殺害は、イランに中東での攻撃的な外交政策を放棄させることを目的としていた。あれから1年が経ったが、バグダッドの米国大使館がロケット攻撃を受けており、あの歴史は繰り返されているようだ。またしても、イランと密接な関係があるイラクの武装勢力カタイブ・ヒズボラは米国市民への攻撃に対する責任を否定しているが、証拠はカタイブ・ヒズボラの関与とイランの関与を示しているように見える。

あれから1年、ソレイマニはだいぶ前に死んだが、彼がイラクからイエメンに至る中東地域に作ったテロ組織網は生き続けている。

ジョセフ・ハモンド

最近起きたこの事件と、ソレイマニの暗殺から1年近く経ったことを考えると、ソレイマニが2020年の初めのその日に一人で死んだのではないことは注目に値する。米国とUAEがテロリストに指定していた、カタイブ・ヒズボラのアブ・マフディ・ムハンディス司令官も無人機攻撃によって殺害された。ムハンディスが、ソレイマニを狙った攻撃の犠牲に偶然なったとしても、最近行われた大使館への攻撃がそれに対する報復であるという推測は信じられなくはないだろう。

ソレイマニの暗殺は、イランに再び世界中の注目を集めたただけでなく、イラクの政治、そして実際にはより大きな中東地域に対し、イランが持ち続け、高まっている影響力を復活させた。この殺害の結果として、またイランがイラクに対してどれほどの影響力を持っているかを示す証拠として、バグダッドの議会は、米軍をイラクから排除することを求める決議を可決した。この決議を承認したのは親イランのシーア派政党だけで、クルド人、スンニ派アラブ人の政治家の連合やシーア派グループの一部はボイコットした。イランは目標達成の手段として、ミサイルを発射するよりも手段を講じることを好む。これは、イランの長期戦の鍵を握る部分だ。

イランが持つ明らかな影響力は、イラクで行われる街頭抗議の要因になっている。街頭抗議はパンデミックによって勢いがそがれたものの、2019年10月に始まり、現在まで続いている。実際、2019年11月に起きた文書の大量流出で、イラクの市民生活に対するイランの支配が広範囲に及んでいることが明らかになった。ニューヨーク・タイムズは文書のキャッシュを入手し、その記事を目にしやすくしたが、多くのイラク人にとって意外な新事実ではほとんどなかった。

トランプ政権がソレイマニを標的にしたのは、中東の多くの地域におけるイランの影響力を弱めるための、より幅広い戦略の一環だった。実際にイエメンでは、ソレイマニが襲撃されたのと同じ夜に、コッズ部隊のアブドゥルレザ・シャライ准将が米国の無人機攻撃の標的になった。シャライは逃れたが、この攻撃で革命防衛隊の下級兵士が死亡した。革命防衛隊がイエメンでの長期戦で認めた最初の戦闘死だ。

ソレイマニが殺され、さらには核科学者モフセン・ファクリザデが殺されても、イランは自国のアプローチを続けることにおいて、くじけることはない。昨年ここで書いたように、南アフリカにいるイラン人工作員が、トランプの個人的な友人である、現地に駐在している米国大使の殺害計画を立てた。先週、米国が親イランのバーレーンの集団をテロ組織に指定したのは、イランがこの地域で代理人の能力を強化することにコミットしている証拠でもある。

ソレイマニの暗殺は、イランの政権中枢の高い価値を持つメンバーを失うことで、イランにとっては確かに大きな痛手だった。クレバーで用意周到な戦略家であるソレイマニは、長期戦の計り知れないほどの経験と専門知識も持っていた。しばしば前任者よりもはるかに効果的に戦略的長期的成果に焦点を当てた、きめ細やかな方策を進めることで、実際に彼は1990年代から影響力を持っていた。だが地政学のチェス盤への彼のアプローチは、イラン政府全体で共有されている。あれから1年、ソレイマニはだいぶ前に死んだが、彼がイラクからイエメンに至る中東地域に作ったテロ組織網は生き続けている。

  • ジョセフ・ハモンドはジャーナリストで、以前はフルブライト奨学金を受け、マラウイ政府と共同で公共政策の研究をしていた。
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