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パキスタン国内の治安に関して、シリアから戻ってくるザイナビヨウン兵士らが示唆する危険性

2021年1月4日、反乱軍が占拠するシリア北西部のイドリブ県のアリハ近くにあるM4ハイウェイから、トルコ軍が監視ポイントとして使用するために設置されたコンクリートの箱が写る。(AFP)
2021年1月4日、反乱軍が占拠するシリア北西部のイドリブ県のアリハ近くにあるM4ハイウェイから、トルコ軍が監視ポイントとして使用するために設置されたコンクリートの箱が写る。(AFP)
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01 Feb 2021 01:02:22 GMT9

シリア市民戦争の様相がバシャール・アル=アサド政権軍の決定的優位へ向かい、ダーイシュ(Daesh/ISIL)が敗退する中、シリア内戦で戦うイランで訓練された民兵たちの団結が弱まっている。イランを後ろ盾とするこれらの民兵たちは、アル=アサド政権の存続とシリアにおけるダーイシュの領地奪回にきわめて重要な役割を果たしてきた。これらの百戦錬磨の民兵らは強いイデオロギーで結びついており、南アジア、特にアフガニスタンとパキスタンにおける地政学的およびイデオロギー的優位性を高める上で、イランに非常に大きく加担している。

シリアの市民戦争が沈静化に向かい、ザイナビヨウン部隊に属するパキスタン人の民兵らの中にはパキスタンの別の地域へ密かに戻る者が出てきている。パキスタンの法執行機関はカラチだけでもザイナビヨウン部隊所属のおよそ250から300人の兵士を逮捕している。シリア内戦におけるパキスタン民兵の正確な数は確認が難しいが、5千から8千人と推定される。

今年1月にザイナビヨウン上級兵士アバス・ジャフリが逮捕されたが、これも同部隊に対する警察の取り締まりの一環だ。同じく今年1月には、プンジャーブの反テロリズム部門が、攻撃計画を企てていた容疑でサルゴダにいた7人を拘束した。また昨年12月には、ザイナビヨウン部隊のアグハ・ハッサン・グループのメンバー2人がデオバンド派の聖職者モラナ・アディル博士の殺人に関して逮捕されている。

パキスタン民兵たちは2012年からシリアへ出兵しているが、民間武装軍団ザイナビヨウン部隊が正式に結成されたのは2013年で、ダマスカス中心部にあるサイイダ・ザイナブ(Syyeda Zainab)モスクを標的としたダーイシュによるミサイル攻撃が発端となった。そのミサイル攻撃でモスクの外壁が破壊された。イランのメディア報道によると、ザイナビヨウン部隊の最高司令官はサイド・アバス・ムサビだと言われている。ザイナビヨウン部隊の主な任務はシリアにおけるシーア派の聖地を保護することではあるが、実際にはラタキア、アレッポ、そしてダマスカスにおけるアル=アサド政権の戦闘作戦に参画して  いる。

シーア派イマーム(最高指導者)フセインの妹で預言者ムハンマドの孫娘ザイナブはイスラム教で崇められている中心的存在だ。イランはシーア派コミュニティにおけるザイナブへの強い感情的アピールを逆手にとってシーア派の若者たちをリクルートし、動員した。ザイナビヨウン部隊に入隊したパキスタン新兵の大半はカラチ、クラム(以前のFATA内 )、クエッタの出身で、一部にはギルギット・バルティスタンの出身者もいる。その他、コムにあるアル=ムスタファ国際大学など、様々なイランの教育機関に在学していたパキスタン人の学生たちもザイナビヨウン部隊に加わっている。さらに、イラン革命防衛隊コッズ部隊(IRGC-QF)が、イラン市民権と高額の月給を払う仕事を餌に、ハザラ・ シーア派コミュニティから一部の若者をザイナビヨウン部隊に誘い込んだりもした。

現在のIRGC-QFのトップはエスマイル・カアニ(Esmail Qaani)で、彼の前任者カセム・ソレイマニ最高司令官が暗殺された後に後任となり、パキスタン、アフガニスタン、中央アジアにおける組織の運営を統率している。 カアニはこれらの地域に精通しているだけでなく、複雑な秘密地下ネットワークについても掌握している。

多くの潜在兵士を抱える独立武装軍団ザイナビヨウン部隊が、パキスタンの危うげな治安と抗争の絶えないスンニ派とシーア派の対立関係を悪化させる可能性がある。

アブドゥル・バシット・カーン

米国財務省は2019年1月にザイナビヨウン部隊をブラックリストに挙げている。同部隊はパキスタンから追放扱いにはなっていないが、同国内務省はバラチナルを拠点とする二つのシーア派部隊アンサラル・フセインとその派生部隊カタムル・アンビアについてはそれぞれ2016年12月と2002年8月に反テロリズム法1997のもとで公権剥奪措置を取っている。両部隊ともシリア内戦に参加させるための民兵をリクルートして送り込む業務に関与していた。

多くの潜在兵士を抱える独立武装軍団ザイナビヨウン部隊が、パキスタンの危うげな治安と抗争の絶えないスンニ派とシーア派の対立関係を悪化させる可能性がある。シリア内戦では、パキスタンの民兵らがおぼつかない戦闘スキルに磨きをかけ、高性能の武器の取り扱いを学び、中東の仲間たちとのリンクやネットワークを構築した。複数のザイナビヨウン兵士らは「(イランの)世界最高指導者たちの右腕」として抵抗を続けることを誓っている。

シリアの市民戦争は、1979年のイラン革命に続く二番手として、パキスタンにおけるスンニ派対シーア派の抗争に変革的影響力を及ぼす重大な展開となっている。今のところ、パキスタンのシーア派の戦いぶりは、大半がシーア派コミュニティに対する攻撃への防御と報復に終始してきたが、これらの民間兵たちはシリアの市民戦争における攻撃的な戦いぶりを経験し、長年続けていた受け身的な方法から攻撃的な姿勢へとシフトすることもありうる。

ザイナビヨウン部隊はイランに対し、パキスタンとの取引や利益の保護・増進のための新たな駆け引きのコツを提供している。イランはザイナビヨウン部隊を利用してバロチスタンを拠点とする反イラン民族勢力ジャイショル・アドルを撃退することも可能だ。ジャイショル・アドルはイランとパキスタンの国境地区におけるイランの国境警備員の誘拐や暗殺にも関与しており、この二国間に常に存在する摩擦の一因となっている。

IRGC-QFはヒズボラに倣ってザイナビヨウン部隊を訓練している。したがってヒズボラの組織的進化を視野に入れておくことが不可欠だ。ヒズボラは1980年代にはごく未熟 だった初期グループを2000年代には恐るべき民兵ネットワークに変貌させている。

パキスタンのシーア派兵士が祖国へ戻ってきていることも、ISとザイナビヨウン部隊とのライバル関係がシリア内戦からパキスタンへと流れ込んでいる要因の一つと言える。このライバル関係はしっぺ返しとして殺戮や報復攻撃という形でこれからも表出する可能性がある。その一例が2015年12月にパラチナル中心部で起きたラシュカレ・ジャンヴィによる爆弾事件で、シーア派23人が死亡している。

同グループのスポークスマンはその攻撃についてクラムのシーア派の若者たちがシリアの市民戦争へ参戦したことへの報復だと述べている。もっと最近では、バロチスタン州の マックにおけるハザラ・シーア派の炭鉱夫11人の冷酷な斬首事件について、ダーイシュの音声メッセージが同様の理由に言及している。

外交レベルにおいては、パキスタンはイランと対話を持ち、シリアから戻って来るパキスタンのシーア派民兵らの問題について対処する必要がある。実務レベルでは、ダーイシュとザイナビヨウン部隊にパキスタンを彼らの派閥争いの代替戦場とさせないよう、継続的な警戒が必要だ。政策レベルにおいては、変容しつつある武装軍団の脅威に備えるための新たな法的かつ反テロリズムの枠組みが必要とされる。

  • 著者はシンガポールのラジャラトナム国際研究大学院の客員研究員を務める。

ツイッター:@basitresearcher

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