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最愛の同僚、師、友であったユーセフ・カゼーム氏を偲ぶ

ユーセフ・カゼーム氏(1957年~2021年)
ユーセフ・カゼーム氏(1957年~2021年)
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16 Sep 2021 08:09:34 GMT9
16 Sep 2021 08:09:34 GMT9

我々の敬愛する同僚で元編集長補佐を務めたユーセフ・カゼーム氏の、15日の訃報は、ショックではあったが驚きではなかった。カゼーム氏はもう3年近く癌を患っており、悲しいことに、元従軍記者であった彼は、最後の戦いに敗れたのだ。

我々ジャーナリストは、悪いニュースを受けとり報道することに慣れすぎており、悲劇や人の死に対して無感覚になるが、しかし今回ばかりは私も一瞬言葉を失い、頬を熱い涙が伝った。とはいえ、この追悼記事を書くために、私は自分の考えをまとめなければならなかった。

こうした文章を書くのは簡単なことだと思っていた。我々の文化では、誰かを追悼する際には、その人物の長所を挙げなさいと言われているからだ。しかし直ぐに、ひとつのコラムに収まり切らないほど多くの長所をもつカゼーム氏を、正当に描写し切るのは無理であることに気づいた。

ニュース編集室にはたいてい、そこにいる全員の父親的存在となる年長の同僚がいるものだ。穏やかで、経験豊富で、極めて寛大な彼は、仕事でも私生活でも何か問題があれば、まさに助言を仰ぎたくなる存在であった。彼こそは問題を解決してくれる人物であり、問題に巻き込まれてばかりの若く血気盛んな新人に理を諭してくれる人だった。

2004年、汎アラブ日刊紙『アシャルクアルアウサット』のロンドン本社に新たに加入したのが私であり、その父親的人物がカゼーム氏であった。当時彼は47歳、私はまだ23歳で、英国に渡って6ヵ月も経っていなかった。ライバル紙『アル・ハヤト』でアフリカ紛争を取材して名を上げていたカゼーム氏も、そこへ転職してきたばかりだった。私は新卒で、新聞社で4年足らずの勤務経験を積んでいた。

その時はまだ、向かいの席に座っている人物が師となり、友人となり、助言者となり、やがては自分の編集長補佐になるとは知る由もなかった。あれから18年近くが経ったが、思えばあっという間であった。

カゼーム氏は私に多くのことを教えてくれた。仕事面では、編集上の判断ミスや過ちを見抜く目を持っていた。生粋のジャーナリストとしての資質を備えていた彼が、相談役となり指導者となるのは至極当然の成り行きであり、BBC放送の仕事を手掛けたこともあった。『アル・ハヤト』紙に長年勤めた以外にも、2008年から2011年にかけて『アル・ワタン』紙のリニューアルに携わるなど、他のサウジメディアにも貴重な貢献を果たしている。私が『アル・アラビーヤ』英語版で初めて編集を担当した際には、彼は直ぐに駆け付け、15名のチームを指導し、2012年の立ち上げ時には7万人であったツイッターのフォロワー を90万以上にするなど、現在の大成功へと導いてくれた。彼が育てたほぼ全員が、今では編集やコミュニケーション部門の上級職に就いている。

私が5年近く前に『アラブニュース』に移籍した際、最初に電話したのは彼だった。その後数ヵ月にわたる彼との会話はパターン化されていた。私がパニックになり、彼が微笑みながら、すべてうまく行くさ、と言ってくれるのだ。いつも彼の言う通りになった。

編集長になったばかりの私には、その意向に疑念や疑問をもたれることが多かったが、そこにカゼーム氏がいると、誰もが安心するのだった。経験豊富なプロの先輩がやってきて、仕事の内容、目標、重要達成度指標(KPI)、ワークフローについて説明してくれるのは、彼らのキャリアの中でも初めてのことだった。彼はまた、若い新人チーム全体の指導を引き受け、その全員を素晴らしいライターに育て上げた。

2018年4月3日、ドバイで開催されたアラブ・メディア・フォーラムの大規模イベントの際に、我々は『アラブニュース』のリニューアルを発表した。カゼーム氏は、私が真っ先に謝意を伝えたい人物であったにも関わらず、チームの中でその場に出席していない数少ないメンバーのひとりであった。なぜか。それは、カゼーム氏という人物はまさに、自分が楽しんで何かをし、それをうまくやり遂げ、喜ばれていると感じる限り、自身は常に陰で仕事をし、他の人々を表舞台に立たせることを厭わない人物だからだ。実際、カゼーム氏が我々のリニューアルプロジェクトを完璧に管理してくれたお陰で、『アラブニュース』は、その年ベルリンで開催されたWAN-IFRAの授賞式で、「世界で最も優れた新聞リニューアル」部門で銀賞を獲得した。

カゼーム氏は背が高く、気品に満ちた男だった。ニュース編集室の誰もが、心情的にも物理的にも彼を「見上げて」いた。彼には素晴らしいユーモアのセンスがあり、冗談を言うのが大好きで、そして何よりも、世界中を旅した経験から食に関するセンスは抜群であった。

ユーセフ・カゼーム氏は、自分が楽しんでそれをするのであれば、陰で仕事をし、他の人々を表舞台に立たせることを厭わない人物であった。

ファイサル・J・アッバス

個人的には、カゼーム氏は「金のハート」を持っていたと言い切れるほど思いやりにあふれた人物であった。彼が私や他の人々にしてくれたすべてのことを私が語るのは、彼ならきっと嫌がるだろうと知っているので詳しく述べることは控えるが、これだけは言っておこう。彼は、「困った時の友こそ真の友」を地で行く人物であった。

3年近く前、私は彼が癌と診断されたと聞いて悲しみに包まれた。いかに誇り高く慎み深い男であるかを物語るかのように、彼は即座にアラブニュースの仕事を辞任した。私は、回復するまで留任して欲しいと主張したが、彼の意志は固かった。1ヵ月ほど押し問答を続けた挙句、最終的には彼に押し切られ、私は辞任を受け入れた。癌があなたを負かすことはないだろうと私は告げ、いかに早く回復して仕事に復帰するかに賭けていると付け加えた。

悲しいことに、私の言うようにはならなかった。新型コロナウイルスのパンデミックが勃発し、カゼーム氏は幸いにも感染症を発症することはなかったが、治療が妨げられて病状が悪化した。3週間ほど前の深夜、彼からのボイスメッセージが届いた。その声は、常ににこやかに私を落ち着かせてくれたかつてのものではなかった。別れのメッセージを送ってきたのだと感じた私は、彼に会うためにロンドンまで飛んだ。わずか30分ではあったが、まだ意識のあった最後の数日に間に合い、そばに座って過ごすことができたのは幸いであった。そうした最期の瞬間でさえも、カゼーム氏から学ぶべきことはたくさんあった。

寝たきりで、投薬治療を受け、激痛に耐えていたにも関わらず、彼は気品ある笑顔を保つことに拘り続け、私にはそれが非常な努力を伴うものであることが分かった。死が目前に迫る中でも、話題を自分のことから逸らし続け、新聞の運営がどのようになっているかを私に尋ね、自分に何かできることはないかと言ってきたのだ。

カゼーム氏は、妻のディマ、息子のカリム、娘のノールと共に生き続けている。そして、彼の指導、忍耐、プロ意識のお陰で仕事を覚えた若く意欲にあふれた何十人ものジャーナリストたちの記憶にも残り続けていく。

カゼーム氏の思い出を称えるために、我々アラブニュースは、昨年創設したジャーナリズム研修開発部門を彼の名に改名することを誇りとし、彼の記憶を称えて永久に崇めるためにも、この部門を卒業するすべてのジャーナリストが可能な限り最高の訓練と配慮を受けることができるように、世界最高の諸機関と提携するつもりでいる。

友よ、安らかに眠り給え。そして神がその魂に祝福を与え給うことを祈ります。

ファイサル・J・アッバス氏はアラブニュースの編集長

ツイッター: @FaisalJAbbas

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