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シリア帰還民、ふたたび窮地に

21 Jul 2019 02:07:50 GMT9

「シリア人はわが国を食い殺す気か」。レバノン当局関係者が電話を切るなり叫んだ言葉である。電話の内容は、シリア人不法就労者やシリア人経営ビジネスに対する取り締まりについての白熱したやりとりだったという。彼のオフィスを訪ねた私は、あなたは収入源を絶たれた人々がシリアに強制送還され過酷な運命にさらされることについてどうお感じですか、と訊いてみた。「関知しません」とのことであった。

 元来レバノンは難民にさほど同情的な扱いをしてきた国ではない。たとえば2014年時点でレバノン国内に40万人いたとされるパレスチナ難民にしても、何十年にもわたって統合を阻まれ、雇用や国家的恩恵からも疎外されてきた。とはいえ、シリア難民に関してはレバノンの苛立ちにも同情すべきところはある。難民を受け入れよという国際世論に押されつづけたあげく、いまやシリア人人口は200万人ちかくにまで膨れあがり、国内人口の4分の1を占めるに至っているのだ。

 たしかに、ただでさえ失業率が悪化しているこの国に、家族を養うためならタダ同然のカネでも働くような疲弊した人々が大量に流入し滞留したのでは、国民の雇用機会は奪われ賃金は下がっていく。だがその反面、パレスチナ人やシリア人が起業によってレバノン経済にかなりの貢献をしてきたこと、そして自分の家や土地をこころよく難民に開放してきたレバノン人もいることも、知っておくべきである。

 ともあれ難民による今回の危機はレバノンの統治システムにとって大打撃であったが、じつはこのシステム自体、政治の膠着・腐敗が長引いたことでもともと半壊状態にあった。ごみ収集の慢性的失敗などは、公的サービスの崩壊を如実に示す、悪臭ただよう症例である。緊縮財政の予算案がまもなく議会を通過する運びなのでごみ問題はさらに悪化するだろう。GDPの150%に及ぶ世界最悪レベルの債務を抱えるレバノンでは、仕方ないことなのである。

 1970年代のレバノンではゲリラ組織を含むパレスチナ難民の流入が内戦の一因となったわけだが、こんにちの危機でも状況は同じであり、宗教的信条と党派的利害をめぐって難民問題がレバノンの宿痾となっている。ヒズボラとキリスト教徒との連合勢力としては、スンニ派が大半を占める難民集団とは、手を切りたいところである。だからキリスト教徒のミシェル・アウン(Michel Aoun)大統領も「国連はなぜ難民の帰国を促進してくれないのか」と問うたのだが、帰せば迫害されるおそれが十分にある難民を強制送還してしまうのは国際法違反であるむね、弁えておくべきであった。親ヒズボラのジブラーン・バシール(Gebran Bassil)外相も「難民のレバノン定住を防ぐべく国連の援助はシリアに直接なされるべきだ」としているが、これはずばり「レバノンにいても飢えるだけだから帰れ」ということであろう。

 いっぽう、ヒズボラとロシアとバッシャール・アサド(Bashar Assad)シリア大統領はシリア情勢を何とか平常化したがっている。平常化できて構想どおり2021年の選挙実施を確定できたなら、終身大統領と紛争終結への道が開けるからである。露骨な不正選挙となるだろうが、国際社会はやっとシリア問題を厄介ばらいできたという安堵感も露わに、形ばかりの懸念を表明して終わりであろう。だが実際のところシリアの不安定性にも、国際社会を巻き込んだ複雑化にも、いまだ終わりは見えない。反乱軍の支配するシリア北西部イドリブでは、国軍がほとんど前進できない中、ロシア軍による猛爆撃で数百人の死者が出ている状況である。

 2017年後半から約17万人のシリア難民が帰国したとされるが、証言によれば帰国者は当局の嫌がらせを受けあるいは逮捕されたという。アサドの拷問刑務所に消えていった者も多く、この刑務所では数千人が殺害されたとのことだ。標的にされているのは主に若い男性だが、女性たちもソーシャルメディアへの何でもない書き込みを咎められて悪辣な尋問会にかけられている。欧州ボランティアの帰国プログラムで帰国した者も多いが、重大なリスクを知らせぬままの治験など、疲弊し無一文となったかれらをカネで釣るような悪事も行われているのである。

 かたやレバノンでは、抑圧がさらに露骨である。ヒズボラは難民キャンプ設営の妨害策を講じつづけており、難民たちは急場しのぎで建てた家さえ自分で破却させられている。寒さがことさら厳しかった昨冬には、年端もいかない、あるいは年老いた難民が、寒さをしのぐまともなシェルターもなく死んでいった。

 シリア人は、たとえ幸いぶじ帰国できたとしてもゼロからの出発を余儀なくされる。閉ざされた経済、壊されたわが家、土地をめぐる争い、そして深く傷ついた社会に、かれらは直面するのである。想像を絶する恐怖を大人たちは体験してきているが、子どもたちもまた、トラウマの後遺症に苛まれ、あるいは戦災で手足を失うなど将来を閉ざす障害を負っている。学校にも行かせてもらえず、「大きくなったら何になろう」など幼い考えをめぐらす喜びも知らぬまま、少年兵や犯罪組織メンバーやテロ要員にうってつけの人間としてスカウトされていく子も多いのである。

 このように、悪意ある振る舞いをするグループが(難民側にも受入国側にも)あるのは事実ではあるが、これをすべてレバノンの危機管理が甘いからだと責めてしまうのは間違いである。じつは難民プログラムを主導する欧州人たちがシリア人難民をレバノンはじめ流入先の各国内から動かすまいとしているのが明らかで、たとえばトルコとヨルダンは計400万人以上のシリア人を抱える破目になっているのであるが、ならばプログラムの費用はというと、現場の要求額の半分にさえ遥かに届かない額しか支給されていないのである。こうして難民は劣悪な住環境に留め置かれ、受入国は不当な負担を強いられているのである。

 ここ10年レバノンが、シリアの不安定化・複雑化する戦争に強く影響されながらも軍事紛争に突入することなく何とかやってこられたのは、まさに奇跡的としか言いようがない。だが我々はレバノンのこの安定性に甘えていてはならない。不当不法な強制送還が行われること、派利派略のために難民問題が利用されることは、レバノンはじめ過度の負担を強いられた受入国を適切に支援できなかったという、世界的失敗のあらわれなのである。紛争の犠牲となって土地を追われる人々が世界中で7千万ちかくに達し、欧米のファシストが移民排斥を煽動しているこんにち、世界がこの問題を弱者への共感をもって取り上げることができないでいるのは、21世紀最大級の失敗といえるのかもしれない。

 シリア紛争の主要戦域が徐々に落ち着いてきたのにつれ、ヒズボラの戦闘員は南レバノンやゴラン高原(シリア南西部に位置しイスラエルの占領下にある高原)といった他の前線に移動しつつある。米イラン間の緊張が高まっていることから、対イスラエル紛争の勃発をもはや時間の問題と確信する向きもヒズボラ内では強い。また、去る週末ヒズボラが幹部を投入したとされるイラク中央部の準軍事基地に対する攻撃にせよ、イラン軍が様々な船籍のタンカーを再三攻撃し英船籍の貨物船1隻を拿捕したことにせよ、我々自身なにかの拍子に大規模な地域紛争を誘発しかねない危険と隣り合わせに暮らしているのだという事実を、あらためて示唆するサインなのである。

 1970年代、80年代、そして2006年、戦災に追われた幾千人ものレバノン難民がシリアに流れこんだ。私自身1982年には、ダマスカスに逃げようとして失敗したレバノン人集団の一人であった。このままだとイスラエルとヒズボラとの対立が2006年時にくらべて加速度的に激しさを増していきかねない、とする予測にかんがみれば、難民の雪崩れこみに不平を漏らしているレバノン人も、今度またシリア人の情けにすがることになるかもしれず、何とも皮肉なことに思える。

 

(著者 Baria Alamuddin 女史は受賞歴のあるジャーナリストで、テレビキャスターも務める。中東と英国で活動。『メディア・サービス・シンジケート』編集長で、各国首脳へのインタビューも多数。)

https://www.arabnews.com/node/1528816

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