
Rawan Radwan
ジッダ:アハマド・ザキ・ヤマニはサウジアラビアで長く石油大臣を務め、1973年のアラブ・イスラエル戦争後の石油禁輸における重要人物であった。
ヤマニは1962年に、OPECの創設メンバーであるAbdullah Tarikiの後任として、石油大臣になった。
メッカのイスラム学者で裁判官の息子として、1930年6月30日に生を受けたヤマニは、カイロ大学に学び、ニューヨーク大学・ロー・スクールを卒業後、ハーバード・ロー・スクールで修士号を取得した。
彼はサウジアラビア王国の石油産業の国営化を指導したことで、1980年には完全な国営化を果たし、OPECの発展に重要な役割を担った。
The #OPEC Family, led by Secretary General Mohammad Sanusi Barkindo, offers their deepest and heartfelt condolences on the passing of one of the most respected and recognized industry leaders, Sheikh Ahmed Zaki Yamani of Saudi Arabia. pic.twitter.com/GLxO0huuL4
— OPEC (@OPECSecretariat) February 23, 2021
1975年には、ヤマニと他の石油大臣は、カルロス・ザ・ジャッカルとして知られるベネズエラ人テロリストであるイリイチ・ラミレス・サンチェスによって、ウィーンで行われたOPEC会議において人質にされた。彼の目的は、ヤマニとイランの大臣Jamshid Amouzegarをバグダッドで殺すことにあった。人質らは、最終的には交渉の末、アルジェで解放された。
石油価格が1985年の後半のピーク時である約51ドルから1986年初頭の約10ドルに下がり始めたとき、サウジアラビアは価格を安定させるために生産削減を行ったが、それは歳入とマーケットシェアに代償を払った。ヤマニはその年、副大臣であったヒシャーム・ナーゼルに大臣の席を譲ることになった。
シェール油が少し知られはじめ、再生可能エネルギーが始まったばかりのころの2000年のインタビューで、ヤマニは周知のとおり、テクノロジーが石油消費量を削減し、OPEC外からの産出が増加すると予言した。「石器時代は、石を使い果たすことによって終わることはなかったが、石油時代は、石油を使い果たすよりずっと以前に終わることになるだろう」と彼は述べた。