
タレク・アル・サカフィ
メッカ : サウジアラビア北部、タブーク西部に位置するヒスマ山地は、2,600 年以上も昔のサムードやその他古代民族の彫刻したアラブの碑文の故郷だ。
考古学上の遺跡がこの山地ではよく見られる。ここは、ラクダの隊商たちの通商路の一部となっていて、山が船隊のように連なっていたため、商人の間ではよく知られていた。
王国には、広範な地域特性による、様々な地形と気候の下に繫栄した、古代文明の考古学的証拠が豊富にあります、とサウード国王大学で古代史が専門のサルマ・ハウサウィ 教授は、アラブニュースに話した。
「サウジアラビアには、狭まり広がりし続ける平原、山地、台地、そしてオアシスのある砂漠があります」、と彼女は話した。
この地域の地形そして気候上の違いによって、多様な文明が生まれることとなったのです、とハウサウィ教授は加えた。
時代によっては、ヒスマ山地は、ヒスマ・サンディ山地、ヒスマ台地、そして「シップ (帆船)」山地としても知られていた。
この山々は、海抜約 1,000 メートル、ヒジャーズ山地の東側に位置し、北にアル・シャラト山脈、北西にワディ・アラバ 、そして南にハラット・アル・ラハトに隣接している。
「この地域は、人間が定住しやすい特徴を備えていました。水が豊富で、土地が肥沃で、気候が好く、通商路に位置していた、といった特徴です」、とハウサウィ教授は話した。
「ここは、太古の昔から人々が定住した最も重要な地域だったのです」、と彼女は加えた。
「サムードの民はこの地域に住んでいました。そして、コーランに出てくるシュアイブの民の故郷であったと言われています。また、メソポタミアのバビロン文明にも繋がりがあります。」
ハウサウィ教授によれば、タブーク地域は、1 世紀、古代ローマの天文学者、そして地理学者であったプトレマイオスによる古代の文献に記されている。プトレマイオスは、当時知られていた都市や国家の一覧を編集し、その境界を決定し、その土地々々に住む人々に関する重要な情報や、その人々の関係を記録した。
この地域は、ヤークート・アル・ハマウィーの著書『地理学辞典 (Mu’jam Al-Buldan)』や 5 世紀および 6 世紀の詩の中でも言及された。
ヒスマ山地は、2,600 年前に遡るサムード碑文や、イスラム時代に先行するアラブ碑文の故郷なのです、とハウサウィ教授は話した。
「サムード碑文のない地域は、ハサミ方言による碑文のない地域と同じように、ほとんどありません。ハサミ方言はアラビア語で、ナバテア語によく似ています。ナバテア語は、アラブ初の文字で、文字をつなげて記述します」、と彼女は話した。
「こうした碑文はたくさんあります。この地域を通過した人々が記録した名称や祈りの言葉に関しては、ほとんど正しく分かっています。ここは、隊商と旅行者の停泊所だったのです。古代の通商路は南から北へ、そしてレバントまで通じていたのです。」
ヒスマ山地は、この地に暮らした人々の歴史と文明の一部となっています。この地域の様々な碑文から、歴史上の文化遺産が明らかになり、アラビア半島の過去に関する重要な面に光が当てられることとなるのです、とハウサウィ教授は話した。