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『スター・トレック』のジョージ・タケイ、日系アメリカ人の物語を語り続ける

タケイは、日系アメリカ人の経験の中で繰り返されてきた、回復力と正義の追求の驚くべき物語である。(AFP=時事)
タケイは、日系アメリカ人の経験の中で繰り返されてきた、回復力と正義の追求の驚くべき物語である。(AFP=時事)
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30 May 2024 02:05:21 GMT9
30 May 2024 02:05:21 GMT9

東京:第二次世界大戦中、子供を含む12万人の日系アメリカ人が敵のレッテルを貼られ強制収容されたことは、何十年もの間、日系アメリカ人社会にトラウマを植え付け、活力を与えてきた歴史的体験である。

『スター・トレック』シリーズでエンタープライズ号に乗るヒカル・スールーを演じたジョージ・タケイにとって、この物語は、機会があるごとに語り続けようと決意しているものだ。

「アメリカ史のこの部分についてアメリカ人に伝え続けることが、私の人生における使命だと思っています」と、彼はAP通信との最近のインタビューで語った。

彼は、アメリカの民主主義の失敗についての教訓が、日系アメリカ人を含め、今日でも本当に学ばれていないのではないかと危惧している。

「抑留の恥は政府のものです。不当で、残酷で、非人間的なことをしたのは政府です。しかし、多くの場合、政府の行為の犠牲者が自ら恥を背負っているのです」と彼は言った。

87歳のタケイは、6歳から9歳の子供とその両親のための新しい絵本 「My Lost Freedom 」を出版した。この絵本は、ミシェル・リーによる柔らかな水彩画で描かれている。

フランクリン・D・ルーズベルト大統領が1942年2月19日、日本軍の真珠湾爆撃の2ヵ月後に大統領令9066号に署名し、日系人を米国の敵とみなし、西海岸の家から強制退去させたとき、タケイは4歳だった。

タケイはその後3年間、鉄条網に囲まれ、銃を持った兵士に守られながら、糞尿の臭いがするサンタ・アニタ競馬場、湿地帯にあるキャンプ・ローワー、そして1943年からは「不忠実な者」のための厳重な隔離施設であるツールレイクという3つの収容所で過ごした。

「私たちは他のアメリカ人とは違うと見られていた。これは不公平だった。私たちは真珠湾攻撃とは無関係のアメリカ人だったのだ。しかし、私たちは有刺鉄線の中に監禁されていたのだ」とタケイは本の中で書いている。

その中で、彼の両親が静かな威厳をもって苦難に耐えている姿が描かれている。母親は子供たちのために服を縫った。廃材で椅子を作った。野球をした。ベニー・グッドマンで踊った。クリスマスには日本人らしきサンタがやってきた。

タケイの物語は、日系アメリカ人の体験を通して繰り返されてきた、回復力と正義の追求の驚くべき物語である。

ジャンヌ・ワカツキ・ヒューストンが1973年に出版した『マンザナーへの別れ』、20年以上前にローソン・稲田房雄が編集した『Only What We Could Carry』、フランク・エイブとフロイド・チャンが編纂したばかりの『The Literature of Japanese American Incarceration(日系アメリカ人強制収容の文学)』など、語り継がれてきた物語である。

ワシントンD.C.に本部を置く日系市民連盟のデビッド・イノウエ事務局長は、タケイの本のメッセージは今でも意味を持つと考えている。

COVID-19の大流行で燃え上がった反アジア攻撃に見られるように、今日でも差別は根強く残っているという。イノウエ氏は、息子が学校で自分が育った時と同じように嘲笑されてきたと語った。

「このような本があることの重要なことのひとつは、私たちを人間らしくしてくれることです。私たちが他の家族と同じであることを示す物語です。野球が好きで、ペットを飼っている。そんな家族です」とイノウエ氏は言った。

タケイ一家がカリフォルニア州北部のツールレイクに送られたのは、いわゆる忠誠心調査票の主要な質問に両親が「ノー」と答えたからだ。

質問No.27は、米軍に従軍する意思があるかどうかを尋ねたもの。28番の質問は、アメリカに忠誠を誓い、日本の天皇に忠誠を誓うかどうかというものだった。どちらも、基本的市民権を剥奪され、敵のレッテルを貼られた人々にとっては、物議を醸す質問だった。

「パパもママも、この2つの質問はバカバカしいと思っていた」とタケイは『My Lost Freedom』に書いている。

「正直な答えはノーとノーだけだったのです」

タケイによれば、その質問は幼い子供のいる家族がどうなるかを説明していなかった。彼の両親は、日本への忠誠を糾弾する必要はないと感じていたからだ。

ツールレイク収容所は10カ所の収容所の中で最も大きく、18,000人が収容された。

「はい」と答えた若者たちは、日系人だけの第442連隊戦闘団の一員となり、家族が収容されたままヨーロッパで戦った。有名な 「Go for Broke 」のモットーを持つ442連隊は、米軍史上最も多くの勲章を受けた部隊である。

「彼らは自分自身を証明し、家族を有刺鉄線から救い出す決意を固めていた。彼らは私たちのヒーローです。私は彼らに多くの恩がある」

日本が降伏した後、タケイと彼の家族は、収容所から解放されたすべての日系アメリカ人と同様に、それぞれ25ドルとアメリカ国内どこへでも行ける片道切符を与えられた。

1988年、タケイを含む日系アメリカ人による長年の努力と証言の結果、自由権規約が制定され、第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人の生存者全員に、2万ドルの補償と大統領による正式な謝罪が与えられた。

タケイは、父親がそれを見るまで生きていなかったことを思い出すと、声を詰まらせた。

彼は、1960年代半ばにスタートし、熱狂的なファンを獲得したテレビシリーズ『スタートレック』で描かれる多様性に誇りをもって言及した。そこでは、銀河を共に飛び回るクルーたちのバックグラウンドも様々だった。

「スタートレック』の脚本家、クリエイター、プロデューサーのジーン・ロッデンベリーは、激動の時代と公民権運動をテレビ番組で描きたかったが、受け入れられるようにするためには比喩的に表現しなければならなかった、とタケイは言う。

「異なる人々、異なる考え、異なる味、異なる食べ物。彼はそれを表現したかったんだ。登場人物はそれぞれ、この惑星の一部を表しているはずだった」とタケイは語った。

タケイは、エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグ演説で述べたように、「人民の、人民による、人民のための 」政治がいかに弱点にもなりうるかを父から教えられたことを思い出した。

「ルーズベルトのような偉大な大統領でさえも。彼は当時のヒステリーや人種差別に振り回された。そして彼は大統領令9066号に署名した」とタケイは語った。

AP

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