東京:かつては長方形のスクリーンの中のものだった任天堂が、ゲーマー以外のファンを獲得するために全力を挙げている。
長年、任天堂はビデオゲーム以外の製品の宣伝やメディア制作を避けてきた。
しかし、この10年間、任天堂はより幅広いブランド認知を獲得するため、マリオの生みの親である宮本茂氏ですら、任天堂のカラフルなキャラクターを「タレント事務所」のように表現するまでになった。
火曜日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの遊園地に『ドンキーコング』をテーマにした新エリアがお披露目され、すでに観光客で賑わっている任天堂のゾーンが拡張された。
先月、京都の工場を改装した史上初の任天堂ミュージアムがオープンしたのに続き、12月11日にオープンする。
興行収入では、「スーパーマリオブラザーズ・ムービー」が2023年第2位の興行収入を記録し、2026年には続編の公開が予定されているほか、任天堂の「ゼルダの伝説」を題材にした映画も控えている。
任天堂の歴史に詳しいフローラン・ゴルジュ氏は、「過去10年間で、任天堂の戦略は大きく転換した」と語る。
ゲーム大手の任天堂は、1889年に日本の伝統的な古都、京都でトランプを製造することから始まった。
長い間、同社は知的財産を現金化するために「保守的」で「やや閉鎖的」なアプローチをとってきた、とゴルジュ氏は言う。
「任天堂には、極端なまでの秘密主義という文化があり、新しいことに挑戦することに非常に臆病になっていた」とゴルジュ氏はAFPに語った。
1949年から2002年まで半世紀以上にわたって社長を務めた山内溥氏は、会社のマスコットのようなものを「嫌っていた」とゴーゲス氏は付け加えた。
ゲーム業界以外への初期の進出も厄介だった。
1990年代、任天堂はマリオのIPをハリウッドの制作チームに託し、実写映画を作ったが、大不評だった。
この大失敗が任天堂の慎重な姿勢の一因となったかもしれないが、その後10年間に発売されたニンテンドー64とゲームキューブの売上が期待外れだったため、再考を余儀なくされた。
次の2つのゲーム機–2つの画面を持つ携帯型DSとリモコン操作のWii–は、非ゲーマーを引きつけるように設計された。
それぞれ1億台以上を売り上げ、今でも任天堂の最大のヒット商品のひとつとなっている。
しかし、これら2つのゲーム機のアップデート版があまり芳しくなかったため、任天堂は再びビデオゲーム以外の分野に進出することを決めた。
東洋証券の安田秀樹氏は、任天堂は「ソフトトイやお菓子を販売し、キャラクターを消費者の日常生活に浸透させている」と語る。
任天堂はディズニーと比較されることもあるが、そのビジネスモデルは、スター・ウォーズのような既存のフランチャイズを買収して展開する米国の巨大企業とは異なると、野村證券の滑健作氏は言う。
野村證券の滑健作氏は、ディズニーのビジネスモデルは、『スター・ウォーズ』のような既存のフランチャイズを買収して開発する米国の巨大企業とは異なると指摘する。その代わりに、日本企業は「自社でできることに集中している」ため、映画やその他のプロジェクトで外部のスタジオやクリエイターと協力している。
任天堂のゲームとして始まったポケモンは、現在では映画、トランプ、そして複数の企業によって管理される商品帝国にまで広がっている。
それが「任天堂をさらにフランチャイズの活用に向かわせた」と滑氏はAFPに語った。
「多くの子どもたちはピカチュウが大好きで、ゲームをプレイしたことがなくてもぬいぐるみを買います」と、ポケモンの有名な電気ネズミについて語った。
ゲームとコンソールの売上は任天堂の収益の90%以上を占めているため、マリオや親しみやすい恐竜のヨッシーといったキャラクターに触れることは、より多くの人々をコンソールに引き込む「きっかけ」になり得ると、滑氏は述べた。
AFP