
渡辺佳子は日本のベテラン漫画家、イラストレーター、アニメーターであり、1963年から1972年まで虫プロダクションで手塚治虫とともに『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』、『あしたのジョー』、『紫のベムたち』の制作に携わった。
渡辺は1973年からイタリアに渡り、イタリアのディズニーコミックスのとして『マドモアゼル・アン』『銀河鉄道999』などの制作に携わった。
好きな漫画は、手塚作品のほとんど、『ドラえもん』、『小さな恋のものがたり』、『有閑倶楽部』だという。好きなアニメは鉄腕アトム、リボンの騎士、スタジオジブリの映画、リチェルカ・ディ・ネモ、バンビなどだという。
1964年の終わりには、手塚作品のキャラクターをアニメ化することを夢見ていたと渡辺は語り、彼女の最初の仕事はテレビアニメ『ワンダー3』シリーズ(1965年)だった。
「『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』を作っていた頃は、ストックがほとんどなかったから、徹夜でやるのが普通でした。私たちはそれを苦労だとは思いませんでした。虫プロダクションはテレビシリーズアニメーションの先駆けだったので、私たちの仕事のやり方は型破りでした。私たちが普通だと思っていた仕事のやり方も、型破りだったのです」と彼女は説明する。
「〆切に間に合わないときは助け合い、同僚のアニメの仕事を引き受け、同じものを作り上げました。仲間意識が芽生えました」と説明した。
渡辺は、アニメーションの仕事で直面した困難のひとつに、最小限の動きで望ましい効果を得ることに主眼が置かれていたことを挙げた。
過去と現在のアニメーションのクオリティとコンセプトの違いについて、渡辺はこう語った: 「昔は今のようなテクニックはなかったですが、いろいろな方法を使ったり、仲間に助けてもらったりして動きを作っていました。そのおかげで人間らしくなれたと思う」
渡辺は、次のようなイタリアのアニメーション映画を手がけたことで知られている:『 ラ・ガッビアネッラとガット』、『ラ・フレッチャ・アズーラ』、『ヨハン・パダン』、そして『コルサロ・ネロ』のようなテレビ作品だ。
「漫画家 よりも アニメーター “という意識が強いので、イタリアの長編アニメ映画が制作されることになったとき、アニメーターになるチャンスに飛びつきました。最初はアシスタントに来てもらって、自宅で作業しました。自分のパートを描き終えたら、アニメーションスタジオに持って行き、監督と話し合い、OKをもらって修正しました」と彼女は説明した。
渡辺は、La storia di Sayo(2009年)、Sute, il Figlio degli Spiriti(2011年)、Donran(2012年)のコミックを出版したことで知られている。『La storia di Sayo:サヨの物語』は初のグラフィックノベルである。第二次世界大戦後、植民地として征服された中華民国北部に、2人の小さな子供を連れて戻ってきた人々の体験と苦難に基づいている。Sute, il Figlio degli Spiritiと、Donranはまた、日本の神話をベースに、日本の妖怪や精霊について少しでも知ってもらいたいという願いを込めてこの物語を創作したという。
渡辺はシャルジャ・チルドレン・リーディング・フェスティバル2023の国際的なゲストの一人であり、このイベントで多くのアニメや漫画のファンと出会えたことをとても喜んでいた。