



東京:ゴジラの燃えるような原爆の息から、黙示録的なアニメや悲惨な放射線病描写まで、広島と長崎への原爆投下の影響は日本の大衆文化に深く浸透している。
第二次世界大戦の攻撃から80年、破壊と突然変異の物語は、自然災害をめぐる恐怖と融合し、最近では福島原発事故が起きている。
古典的な漫画やアニメの「マイティアトム」は日本語では「鉄腕アトム」と呼ばれ、「AKIRA」、「新世紀エヴァンゲリオン」、「進撃の巨人」などでは、都市を吹き飛ばすような爆発が大々的に描かれている。
オタワ大学のウィリアム筒井教授(歴史学)は、「とてつもない痛みを乗り越えて生きること」や「トラウマを克服すること」は、日本の文化作品に繰り返し登場するテーマであり、「世界の観客はその魅力に気づいている」と語る。
1945年8月6日、アメリカは広島に核爆弾を投下し、約14万人の死者を出した。その数日後、長崎に原爆が投下され、約74,000人が亡くなった。
作家の多和田葉子氏は、「原爆が投下された瞬間の恐怖を描いた」詩もあるが、多くの小説や芸術作品は間接的にこのテーマを扱っていると語った。
「それまで歴史上に存在しなかった原爆の体験が、記憶として人間の心の中に居場所を見つけるのはとても難しい」と彼女はAFPに語った。
多和田氏の2014年の著書『使者』は、不特定の恐ろしい出来事の後遺症に焦点を当てている。
彼女は、原爆、2011年の福島原発事故、そして「水俣病」–1950年代から西南日本の産業公害によって引き起こされた水銀の大量中毒–の関連性に触発された。
この物語は「警告というよりも、状況は悪くなるかもしれないが、私たちは生き残る方法を見つけることができる、というメッセージです」と多和田氏は語った。
日本と核技術との複雑な関係を反映した物語は数多くあるが、最も有名な例は、太平洋におけるアメリカの水爆実験によって目覚めた先史時代の生物、ゴジラである。
「抽象的な恐怖に顔と形を与えるために怪獣が必要なのです」と『ゴジラ・オン・マイ・マインド』の著者である筒井教授は言う。
「1950年代、ゴジラは日本人にとって、原子エネルギー、放射能、原爆の記憶とともにその役割を果たした」
1954年のオリジナル映画でゴジラが東京で大暴れするのを見た多くの人々は、涙を流しながら映画館を後にしたと彼は言う。
そして、「ゴジラの特殊効果に携わる人々は、広島と長崎の被爆者のケロイド状の傷跡をモデルに、怪獣の大きく皺の寄った皮膚を作ったと言われている」という。
それ以来公開された40本近くのゴジラ映画では、核をテーマにしているが、アメリカの観客をなだめるためもあって、あまり強調されないことが多い、と筒井氏は言う。
それでも、ゴジラ・シリーズの人気は依然として高く、2016年の大ヒット作『シン・ゴジラ』は、津波が引き金となった福島原発事故に対する日本の対応を批判した作品とみられている。
井伏鱒二が1965年に発表した放射能汚染と差別をテーマにした小説『黒い雨』は、広島原爆を題材にした日本で最も有名な小説のひとつである。
しかし、井伏が被爆者ではないという事実は、「誰がこのような物語を書くことを許されるのかという大きな議論」の一部である、とケンブリッジ大学のヴィクトリア・ヤング氏は言う。
「実人生をどのように語り、どのように文学化するかは、常に難しい問題です」と彼女は言う。
「直接体験したわけでもないのに、それについて書くことが許されるのでしょうか?」
ノーベル賞作家の大江健三郎は、1960年代に広島を訪れた際に書かれたエッセイ『ヒロシマ・ノート』に被爆者の証言を集めている。
日本で育った後、40年間ドイツに住んでいる多和田氏は、「彼は現実に立ち向かっているが、障害を持つ息子との関係も含め、個人的な角度からアプローチしようとしている」と語った。
「私が受けた反戦教育は、日本が第二次世界大戦の被害者であるかのような印象を与えることがありました」と彼女は言う。
「原爆投下に関して言えば、日本は間違いなく被害者です。しかし、日本の戦時中の残虐行為を含む、より大きな全体像を見ることが重要です」と彼女は言った。
子供の頃、現代の絵本に描かれた原爆投下のイラストは、歴史的な日本美術に描かれた地獄の描写を思い出させたという。
そのため「人間の文明そのものが内在する危険性をはらんでいるのではないかと考えるようになり」、原爆は「技術の発展」というよりも「人類の中に潜在する何か」のように感じられるようになった。
AFP