



ダイアナ・ファラー ドバイ
ラグジュアリー室内装飾ストアのナデューラジャパンの社長は「中東は世界の中心」だと確信している。
そのため、ミゾオチ・ヒロシ氏が同社事業の世界展開の一歩目に選んだのは、ドバイの店舗の開店だった。
「アラブ世界と中東の人たちが製品を気に入れば、ヨーロッパ、そしてアメリカなどへと広がっていきます。別の地域に行くには、中東を通っていかなければならないのです」と彼はアラブ・ニュースに語った。
ドバイモールに開店したナデューラジャパンの地域初の販売店は、金曜日だけその扉を開く。ミゾオチ氏が言うには、この戦略はシルクの着物が中国から中東を経由してヨーロッパに運ばれる歴史的な移動に基づいている。
「日本では、多くの歴史を持つ伝統的な手工芸品がたくさんあります。しかし、私たちの工芸品を世界に発信するチャンスは多くありません」
小売業者は、サウジアラビアやクウェートなどの国々に店舗を増やすことも望んでいる。
ナデューラジャパンのマーケティングマネージャーであるゾヘル・チェンティ氏は、アラブ首長国連邦に店舗を開いた主要目的は、中東の工芸品と類似点が少ない同社の製品に対する地域的要求を満たすことだと語る。
アラビアでは大げさなデザインが好まれる傾向があるが、日本人の好みはミニマリズム的だとミゾオチ氏は言う。また、店舗にある作品が、逆にデザインした人の文化に反映されるのだとも話す。「一般的に日本人はアラブよりも謙虚で、それゆえに日本人のデザインはミニマリスト的でシンプルなのです」
ナデューラジャパンのデザインの多くは、何百年も前の伝統的な技術により手仕事で作られており、ものによっては作るのに数か月かかるものもある。「たとえば、小さい点がたくさん描かれている花瓶があるのですが、これは1つ作るのに6か月かかりました」とミゾオチ氏は語る。
ナデューラジャパンのホンジョウ・シンサク常務は、日本の若者が伝統的な工芸品の技術と関わらなくなってしまうことを恐れていた。「商品、工芸品がこの地域で有名になれば、人々が目にする機会も増え、日本の若者ももっとこうした工芸品に興味を持つことなるでしょう」とホンジョウ氏は語る。
ナデューラジャパンは、チェンティ氏とミゾオチ氏の出会いから始まった。「私は長い歴史を持つ神戸モスクで管理者として働いていました。神戸モスクは1995年の地震にも耐えました」と語るのはアルジェリア生まれのチェンティ氏だ。「私はハラールフードプロジェクトでも働いており、そこでミゾオチ氏と出会いました」
ミゾオチ氏は日本のムスリムコミュニティーにとって重要なサポーターであり、当時ハラールフードが不足していたため、ハラールフードプロジェクトを手伝い始めたのだとチェンティ氏が話してくれた。
ミゾオチ氏と彼の息子は、一緒にドバイに移住し、複数のプロジェクトに取り組むことにした。「ミゾオチ氏は特にドバイにとても興味を持っており、私はドバイ関連でお手伝いすることができました。ドバイモールでこのすばらしいプロジェクトを形にすることができたのです。最初はとても大変でしたが、最終的にはやり遂げました」とチェンティ氏は付け加えた。