
ディーマ・アル・ハデイル
ジェッダ:サウジアラビアの女性ミュージシャンやパフォーマーたちは、サウジアラビアのファンたちのために心を込めて演奏し、楽しいビートを生み出している。
サウジアラビアではこれまで男性アーティストたちがジャズやブルース、ロック、ラップ、その他多くの音楽ジャンルを探求していたが、今では音楽関係の道を進むサウジアラビア人女性たちも増えてきている。かつてはタブーだったキャリアとしての音楽の選択が、社会改革により多くの人に支持されるようになっているためだ。
「Cosmicat」(コズミキャット)の名前で知られるサウジアラビアの電子音楽プロデューサー兼DJ 、ヌーフ・スフィアニさんは、子供の頃から音楽に夢中だったとアラブニュースの取材に応えて語っている。
「私の音楽への愛情はどうしようもない程強く、好きが嵩じて自分で音楽を作り始めるしかないほどでした」とスフィアニさん(27)は言う。
2017年には、その個性的なスタイルのため、スフィアニさんは男性優位の音楽の世界で注目を集め始めていた。
彼女は歯科医学と外科の学士号を取得して大学を卒業し、音楽のキャリアを追求する前にしばらくの間歯科医として働いていたという。
「音楽を仕事にするということは、男性優位の業界で自分自身の価値を証明するのに奮闘しなければならない、ということでもあります。それに、音楽は伝統的な女性の仕事ではなく、また私が演奏する音楽の種類も今のメインストリームのものというわけではないですから、私の音楽によって社会からのけ者にされてしまうのではないかという恐れも感じています」とスフィアニさんは語る。
音楽は「私に毎日生きる力をくれるモチベーションなのです。この音楽という芸術を、私は何度も新しく発見し続けています。」
DJの技術は独学で身につけたとのこと。「私は電子音楽ができますし、自分の声とアラビア語の詩や話し言葉、さらにはアカペラの歌声を採り入れるのが大好きです。ダンス用に楽しんでもらえるように作品を作っていますが、私のテイストそのものはよりアンダーグラウンドでとても個人的なものになっています。」
スフィアニさんの音楽は、Apple Music、Spotify、Anghami、Deezer、Soundcloudなどの主要なプラットフォームでアクセスでき、 またサウジアラビア航空の機内エンターテインメントシステムでも聴くことができる。
施設兼旅行管理責任者として働いているラミャ・ナセルさん(33歳)は、9歳でロックとヘビーメタルに興味を持ち、社会改革が始まるずっと以前の2008年に、サウジアラビア初の女性ロックバンド「Accolade」(アコレード)の一員として自身の音楽のレコーディングを始めた。
「私を音楽の道に駆り立てたのは、ロックミュージックに対する愛と情熱、その数々のメッセージへの共感、そしてこれまでロックが形作ってきた私の人間としての生き方そのもの、といった要素でした」とナセルさんはアラブニュースに語った。
「キング・アブドルアジーズ大学の学生だった21歳のときに、「Accolade」を結成したのが始まりでした。ディナという非常に才能のあるギタリストと知り合い、彼女の妹も入れてバンドを始めることにしましたのです。」
その年、「Accolade」はジェッダのレッドサンド・プロダクションの音楽プロデューサー、ハレド・アブドルマナンを訪問した。そこでバンドは 「ピノキオ」(2008)、「デスティニー」(2009)、そしてナセルさんのお気に入りの「これはわたしじゃない」(2010)の3曲を録音した。
大学を卒業した後、「Accolade」のメンバーたちは別々の道を進んだ。 「残念ながら、以前のようにリハーサルのために集まることができず、それぞれが自分のキャリアを歩み始めることにしたのです。」
2018年、ナセルさんはソロになり、インスタグラム(@ Lamya.K.Nasser)でパフォーマンスを発信し続けている。彼女は最近、ウォール・オブ・サウンドという名の新しいレコーディングスタジオに参加した。
「音楽には私たちの魂の燃料となり、内なるエネルギーを甦らせる力があります。音楽の力によって、私たちは自らの痛みを訳し、自分自身を表現することができるのです」とナセルさんは言う。
「Accolade」が録音した「ピノキオ」はSoundcloudで19,000回以上聴かれていたとのこと。 「多くの人が聞いてくれたことを、本当に幸せで誇りに思っています。今でも時々、インスタグラムのアカウントに、私たちの音楽への賞賛の気持ちを伝えてくれる、優しい人たちからのメッセージが届くのです」とナセルさんは思いを語った。
元レポーターでジャズ・ブルース歌手のルルワ・アルシャリフさん(33歳)(@loulwa_music)は、7年間歌手を続けている。力強いキャラクターで何年もの間町で話題の存在であり、その歌は高音から低音まで情熱に溢れている。
「17歳のときから様々な世界で働いていましたが、3年前にジャーナリストを辞めて、自分が心から熱くなれることに取り組むことにしました」とアルシャリフさんはアラブニュースに語った。
「6年前の時点では、女性の歌手はまだ極々少数でした。やや難しさはありました。才能のある女性はいましたが、誰も聴衆の前で生で歌ってはいませんでした。私が多分最初か2番目だったはずです」とアルシャリフさんは当時の状況を説明した。「大変でしたが、たくさんの人が支えてくれました。」彼女は音楽を生の感情そのものと表現した。
「ブルースは真の感情そのものであり、ジャズは予測不可能です。ジャズの予測不能さは、ピアノの音からももう感じられる気がして、大好きですね。とても自由なんです。一方ブルースは歌詞が本当にリアルです。」アルシャリフさんは、自らのパフォーマンスを通じて新しい世代にジャズとブルースを伝えていきたいと望んでいる。
「当時、若い人たちにジャズやブルースを聴く人が少なかったので、では歌ってあげようと思って歌い始めたんです。ジャズとブルースを甦らせて人々に楽しんでもらいたいと、真剣にそう思っていました。」