ダイアナ・ファラー
ドバイ:日本と中東の文化間の溝を埋めるための努力は、ここ数年で実を結び始めている。両地域が相互理解を深めるために、一人の日本人男性がさらなる一歩を踏み出した。
UAEに住むマンスール・アル・ヤバニ(日本人マンスール)氏は、同僚や友人とコミュニケーションを取るためにアラビア語の話し方、書き方、読み方を学んだ。
マンスール氏はアラブニュース・ジャパンの独占取材に応じ、大学のUAE・日本間交換留学プログラムの一環として9年前にUAEに移住して来たと説明した。
「その時アラビア語を学び始めました。大学ではアラビア語は習っていませんでした。アラビア語の講義は私には高度過ぎたので」と彼は語る。「何人かの教授から個人的に教わって基礎を覚えました。それが私の旅の始まりでした」
日本にはアラビア語を教える所がいくつかあったが自宅からは遠かったという。そこで彼は教科書を買って6ヶ月独学することにした。
「当時、日本に留学中のUAE人の友達が何人かいて、話したりアラビア語を習ったりできました」と彼は言う。学習を始めた後、アラビア語の使用や会話練習も始めたという。
「会話からたくさん学びました。知らない単語を耳にする度に意味を聞いていました」と彼は語る。
日本人の彼からすると、アラビア語は文法と発音が最も難しかったという。
「アラビア語は難しいと思いますが、豊かな言語です」と彼は言う。「日本語やアラビア語のような歴史のある言語は大抵難しいものです」
彼がアラビア語を話すことを知った同僚たちが、冗談で彼にマンスール・アル・ヤバニとあだ名を付けた。それ以来、彼はマンスールの名で通るようになった。
1500年の歴史を持つアラビア語を学ぶうえでの彼の主な目的は、ただコミュニケーションを取ることだった。「この国の言葉でコミュニケーションしたかったのです」
彼のアラブ世界の旅は、UAEに移住して来るずっと前から始まっていた。2001年、日本とUAEの国交樹立25周年を記念して、日本の外相が武家である彼の一家をバーレーンに招待したのだ。
彼の一家はバーレーンの要人たちの前で古来の伝統的な武術を披露した。
「バーレーンのことは何も知りませんでした。場所も、アラビア海の近くということしか知りませんでした」と彼は語る。「ドバイは当時は有名ではありませんでした。知っていたのはアラブ世界の都市だということだけでした」
彼はアラブニュース・ジャパンに対し、その地域の発展ぶりが心地よい驚きだったと語る。「いい意味でショックを受けました」
マンスール氏は6月、UAEでゴールデン・ビザを授与された。これは、特別なカテゴリーに該当する人だけに与えられる長期滞在ビザだ。日本とアラブ世界の間の文化交流促進に尽力したというのが推薦理由だ。
「(UAEに)住み始める前から、両国間の文化交流の促進には積極的でした」と彼は語る。
東日本大震災が発生した2011年、マンスール氏はいくつかのイベントやプロジェクトを立ち上げた。「プロジェクトを通して被災者の方々を支援したいと思いました。UAEの若者たちがプロジェクトを手伝い支援してくれました」
話し方より話す中身
— マンスール منصور @UAE (@mansournihon) May 22, 2022
おかげさまで3言語を不自由なく使えますが、その中で思うのは
「外国語をペラペラしゃべれても、話す中身がペラペラでは価値がなくしょうもない」ことです
しゃべり方が多少つたなくても中身があったり、気持ちがこもってるほうが大事ですよね
彼はSNS上で人気を得て、Snapchatでは40万人以上のアラブ人フォロワーを獲得している。
日本人インフルエンサーである彼は現在、特にUAEに移住する日本人が増えていることから、商業的な面に重点を置いてビジネスや投資を促進しているという。
彼はアラブニュース・ジャパンに対し、他のアラブ諸国や湾岸協力会議諸国に行きたいが新型コロナのせいでまだその機会がないと語る。サウジアラビアのリヤドには行ったが、再訪して同国をもっと見て回りたいしアル・ウラーなどにも行きたいとのことだ。
日本とUAEの国交樹立50周年を前に、彼はいくつかのイベントを計画しているという。そのうちの一つで彼は、武家で育ったために身に付けた伝統的な武術を披露するかもしれない。