Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter

スマートフォンは教育をダメにしているか

ユネスコの最近の報告書は、教室におけるデジタルテクノロジーの使用の潜在的な落とし穴について警告している(AFP)
ユネスコの最近の報告書は、教室におけるデジタルテクノロジーの使用の潜在的な落とし穴について警告している(AFP)
Short Url:
09 Aug 2023 09:08:42 GMT9
09 Aug 2023 09:08:42 GMT9

「教育におけるテクノロジー」と題するユネスコの最近の報告書は、教室におけるデジタルテクノロジーの使用の潜在的な落とし穴について警告している。報告書を読んでいて、生徒たちがデジタル機器を使い始めた頃のことを思い出した。中東政治に関する授業で重要な歴史的展開を概説していた時、ある生徒がタブレットをいじっているのを見つけた。正直なところ、メールを送っているか、ソーシャルメディアに夢中で授業を聞いていないのだと思っていたのだが、突然、彼は私の話をさえぎり、先生が話した情報を検索エンジンで確認したと、クラスのみんなに言ったのだ。私の講師としての信頼性が、必ずしも私の実績にではなく、インターネットの検索結果と一致しているかどうかに依存しているということを、初めて認識した経験だった。しかし同時に、この新しいテクノロジーによって生徒が、常に新しい知識源を探し求める、よりプロアクティブな学習者になる可能性にも気づかされた。

ユネスコの報告書は、テクノロジーの導入が教育経験を向上させるのか、それとも逆に、華やかさやギミックの名の下に教育を貧しく、表面的で低品質なものにし、同時に、テクノロジーを導入する金銭的余裕のあるグループとそうでないグループの格差を広げるのかという議論が、多くの教育者の間でなされていることを浮き彫りにした。報告書は、決定的な結論や勧告を出せるという態度をとっていないが、長年教育に携わってきた私たちが感じていること、つまり、デジタル技術の利点や付加価値についてはまだ十分に議論が尽くされていないという点を目立たせて、良い仕事をしている。

デジタル教育を単一現象ととらえるのは間違いで、実際には、それは教育に良くも悪くも影響する広範なハードウェア、ソフトウェア、そしてアプリケーションなどをひとくくりに指す。教育におけるデジタル技術の有効性と有用性は、地理的条件、利用可能な機器やコンテンツの質、スタッフがどれほど良く訓練されているか、性別や文化的差異が考慮されているか、他の教育・学習方法とのバランス、などによって決まる。

とはいえ、テクノロジーへの依存度がますます高まる中で、デジタル教育を強く推進する、疑わしいセクターが2つ存在する。まず、最も明白なのは、テクノロジーを開発・販売するグループだ。主に教育よりもテクノロジーに精通しており、教育の人間的側面や、教育要件の異なる個々の学習者に対応する必要性を軽視する傾向がある。

教育の未来が機械のみに依存していると考えるのが軽率であるのと同様、教育におけるデジタル技術を一律に否定するのは愚かなことだろう

ヨシ・メケルバーグ

極めて不純な動機に悩まされるもう一つのセクターは、政府部門であれ、学校や大学の内部であれ、教育を管理し、テクノロジーをコスト削減の道具とみなす人々で構成されている。その多くは教育現場での実体験を持たないか、比較的若いうちに管理職になり、教室の実情についての感覚を失っている。直感に反することだが、一式のテクノロジーは、教師より柔軟性に欠けるものなのだ。

教育の未来が機械のみに依存していると考えるのが軽率であるのと同様、教育におけるデジタル技術を一律に否定するのは愚かなことだろう。近年多くの場合に、デジタル教育への投資が教師への投資に取って代わり、教師が生徒の体験を向上させるべくデジタルプラットフォームを効率的、かつ正しく活用することを保証すると共に、いつの日か、教室で機械が人間の代わりをするようになるのではないかという教師の不安を和らげてもいる。

さらに、教育にかかわる多くの人々は品質と標準化の区別ができていない。官僚たちがこれらの要素を管理しようとし、創造性と多様性の促進を犠牲にするのを許すことで、デジタル教育は状況を悪化させている。これは、多くの若者を置き去りにする、画一的で平凡なアプローチにつながる。

確かに、デジタル技術により、これまでなかったような仕方で、学習者がより多くの教育・学習リソースへアクセスできるようになったという積極的な実例もある。だがその反面、信頼・信用できる情報と、誰かの想像の産物に過ぎないものとを見分けるための導きやツールなしに、無限の情報源にさらされることは、知識の習得と、あらゆる存在領域において私たちを取り巻く世界を理解する能力の両方に、長期的なダメージを与えている。さらに、質の高い教育については常に、持てる者が持たざる者よりも有利であり、それが彼らの将来を左右してきたが、デジタル資源へのアクセス格差はこの不平等を悪化させている。

質の高い教育については常に、持てる者が持たざる者よりも有利であり、それが彼らの将来を左右してきたが、デジタル資源へのアクセス格差はこの不平等を悪化させている。

ヨシ・メケルバーグ

良質な議論を提供するユネスコ報告書の重要な発見として、「教育におけるデジタル技術の付加価値についての確かな証拠はほとんどない」という点がある。ひとつの理由は、新しいテクノロジーが出現し、変化し、入れ替わるスピードが速すぎて、それらを適切に評価することができないからだ。新しいプラットフォームを導入する商業的インセンティブが教育的配慮に優先し得る場合、それは避けられない。さらに、デジタル教育を賞賛する研究結果は、当然のことながら、主としてそうした技術を開発する人々によって提供されている。このシナリオは製薬業界と同じだが、この場合は身体ではなく心にダメージを与える。

また、他のどんなテクノロジーの応用についても言えることだが、不適切な使用や過剰な使用は、授業中の、あるいは教育管理者による対処が困難な行動上の問題を生み出すリスクがある。例えば、いじめはいつの時代にもあったが、正式な教育環境にいるときを含め、携帯電話やコンピューターで行えるため、より簡単に、より激しく、より有害になってきている。

また、デジタル情報の性質そのものが、すでに集中力の欠如に大いに悩まされている若い世代に有害かつ偏った影響を与えていることは、決して無視できない。十分に展開された議論に注意を払ったり、原文を読んだりする生徒の能力に影響を与え、批判的思考や読み書きの能力を制限してしまう状態である。多くのデジタル学習の本質とはまさにかなりの孤独であり、若者の多くが精神衛生上の問題を抱える社会において、彼らの社会的スキルも悪影響を受けるに違いない。このような孤独な学習は、支援する教育スタッフが、助けを求める若者のそばにいられる環境をも制限してしまう。

デジタル技術は今後も存在し続け、AIが間もなくそれを新たな場所に連れていくだろうが、必ずしもレベルの向上とは限らない。解決策は、この発展を逆行させることではなく、知識を獲得し向上させようとする人類の歩みにおいて、テクノロジーが私たちの人間性を消し去ってしまい、機械が人間に奉仕する代わりに、人間が、機械とそこから利益を得る人々に奉仕するなどという未来には、決してしないようにすることである。

  • ヨシ・メケルバーグ氏は国際関係学教授、チャタムハウスMENAプログラムアソシエートフェローである。国際メディアや電子メディアに定期的に寄稿している。ツイッター:YMekelberg
特に人気
オススメ

return to top