
東京:日本で最も長く首相を務めていたにもかかわらず、安倍晋三氏にとって最も楽しかった瞬間は、2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式で、同市の有名なマラカナスタジアムに集まった7万人の前で行ったパフォーマンスだったかもしれない。
安倍首相(当時)が引継ぎ式に遅れて登場する様子の映像では、彼は突然、任天堂の有名なゲームキャラクター、スーパーマリオに扮してリオのステージに飛び出し、大きな拍手を浴びたのである。
そして、赤い帽子をかぶって観客に、次に行われる大会を間違えないようアピールした。赤い帽子には、こう書かれていた。「東京」と。
安倍元首相は金曜日、奈良市で参院選の応援演説をしているところを撃たれ、亡くなった。
ショーマンでもある安倍元首相は、オリンピック東京大会を当初から推進し、新型コロナウイルスのパンデミックにより開催が1年延期された後も、大会を軌道に乗せることに貢献した。
2013年、アルゼンチンのブエノスアイレスで、ジャック・ロゲIOC会長(当時)が2020年大会の開催地を東京に決定する封筒を開けたとき、彼はホテルのボールルームの最前列に座っていた。
日本代表団の中心に座った安倍氏は、立ち上がり、両腕を高く上げ、東京招致委員会のロゴが入った旗を振った。
安倍元首相と日本は、「a safe pair of hands(手堅く、万全)」をモットーに招致活動を行ったことで有名である。当時、ロシアのソチが2014年冬季オリンピック、リオデジャネイロは2016年夏季オリンピックの大会準備に関して、とどめなく批判を浴びていた時だ。
皮肉なことに、東京の開催準備にも汚職容疑がつきまとうことになる。
また、ブエノスアイレスでの、投票前の国際オリンピック委員会閉会の辞において、2011年に起きた福島の原発事故は「アンダーコントロール」だと言って安心させたのも安倍元首相であった。
しかし、それはそうではなかった。東北の同地域は、あの悲劇から10年経った今でも復興に向けて戦っている。その地域の多くの人々は、オリンピックが復興を加速させたどころか、むしろ衰退させたと感じている。
2013年の無記名投票の最終ラウンドで、東京はイスタンブールに60-36で勝利した。マドリードは1回目の投票でイスタンブールと同点で、落選していた。
そして、2020年3月、新型コロナウイルスによる死亡者数の急増に直面し、大会の延期を最終決定したのは、安倍元首相とIOCのトーマス・バッハ会長であった。バッハ会長は今回の事件を受け発表した金曜日の声明で、大会が延期され、開催されたのは安倍元首相のおかげであったと述べた。
「彼のビジョン、決断力、そして信頼性によってのみ、2020年の東京オリンピックを延期するという前例のない決定を下すことができた」とバッハ氏は述べた。安倍元首相がいなければ、「このオリンピックは決して実現しなかっただろう」と述べた。
そして、安倍元首相を次のように表した。「ビジョンを持ち、そのビジョンを実現するための決意と無限のエネルギーに満ちた人物だった。私が最も高く評価するのは、彼が約束を守る人であったということである」
バッハ氏は、スイスのローザンヌにあるIOC本部の五輪旗を3日間半旗で掲揚すると述べた。
安倍元首相は、中国の台頭にもかかわらず、日本が依然としてアジアにおいてパワーを持つことを提示することを期待された、2020年東京大会の一番の支援者であったであろう。しかし、彼は体調不良を理由に2020年9月に退任した。それは、延期された大会が実際に開かれる10カ月前のことであった。
早稲田大学の政治学者であるデービッド・リーニー氏は、AP通信のインタビューに対し、「彼にとって、オリンピックの時期に首相でいられないことは、どこか心寂しいことだったと思う」と語った。「彼はこのオリンピックに多大な労力を費やしており、彼にとっては日本が世界の舞台でリーダーとして再登場することを象徴していたのだと思う」
安倍元首相の後任は、オリンピックを監督し、終了後数週間で退任した菅義偉氏であった。菅氏は、パンデミックへの対応で批判を浴びた。
「1964年の東京オリンピックが多くの人々にとっていかに重要であったかを考えると――それは、第二次世界大戦後の日本の出現を告げるものであった――2020年に東京でオリンピックを開催することは、安倍元首相にとって同じことを意味していたと思う」とリーニー氏は付け加えた。「そして、彼は確かに、自分がそのプロセスの中心になることを躊躇しなかった」
AP