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日本アニメーター界のベテラン佐藤正樹氏 代表作は『ドラゴンボールZ』シリーズ

『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる佐藤正樹氏。
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21 Apr 2023 11:04:04 GMT9
21 Apr 2023 11:04:04 GMT9

アミン・アッバス

ドバイ:佐藤正樹氏は、『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズ、『頭文字D』、『SLAM DUNK』などの作品を手掛けたことで知られる日本のベテランアニメーターだ。

アラブニュース・ジャパンの取材に応じた佐藤氏は、アニメ・漫画を手掛ける際のインスピレーションの源について次のように語っている。「東映カートゥーンフェスティバルで『マジンガーZ対暗黒大将軍』を見たとき、無敵のマジンガーZが倒されたことに衝撃を受けました。監督の西沢信孝さんの演出が素晴らしく、その後、西沢さんの没後、彼がシリーズディレクターを務めていた『SLAM DUNK』のアニメ化を提案するきっかけになりました」

「全体的に、永井豪さんが作るストーリーやキャラクターが好きです。『空手バカ一代』も幼少期に大きな影響を受けました」とも話す。

アニメ業界でのキャリア確立については、次のように話した。「高校生の頃、自主制作映画に没頭していたので、一般企業に就職したいとは思っていませんでした。アニメーションは専門学校で学びました。その頃は、『科学戦隊ダイナマン』や『電撃戦隊チェンジマン』シリーズに影響を受けていました。

後にエピソードディレクターや演出家として有名になった水島精二さんは、学校の同学年でした。水島さんは私の画力を見て、絵を描くことを諦めたそうです。他にも同じような理由から絵を描くことを諦めた生徒がいました。また、当時落書きで作っていたオリジナルヒーローのデザインが好評をいただきました。

東京デザイナー学院では、演出家・監督として知られる飯島正勝さんに指導をご担当いただきました。その時に描いた絵を飯島さんがスタジオZに持って行ってくれて、その絵が高く評価されて、入社のお誘いをいただいたのですが、入りませんでした。その時点ではアニメーターになる気はなかったのです。最終的に、スタジオジュニオに入社しました」

また、「初めて携わったアニメ作品は『三国志』(1985年)でした」という。

佐藤氏は、日本のベテランアニメーター、アニメーション監督の故・小松原一男氏のアニメーション作品(『タイガーマスク、『デビルマン』、『UFOロボ グレンダイザー』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』など)に影響を受けている。フランスの電子音楽デュオ「ダフト・パンク」と伝説の漫画家の故松本零士氏がコラボした『インターステラ5555』の制作では、小松原氏のスタイルを意識したという。

佐藤氏は、テレビアニメ・アニメ映画シリーズの『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』で知られており、アラブニュース・ジャパンに、シリーズに関して経験談を語った。「この作品では当初は原画を担当しましたが、最終的には尺が合わないなどの問題で、絵コンテから原画、アニメーションまでやらせていただきました。さらに、制作進行の過程も経験しました。悟空が最初にウォーミングアップするシーンの指示を任されました。

このような背景もあって、完成品ではキャラクターの動きがよく出て、複雑な戦闘シーンも生き生きとしたものになりました。当時、私は新人でしたが、作画監督から自分の絵のリテイク作業をさせられたことはほとんどありませんでした。

6歳年上の中鶴勝祥さんとは、当時は別々に仕事をしていましたが、彼の絵を参考にさせてもらいました。中鶴さんは、後に鳥山明さんのキャラクターを画風も含めて完璧に描けるクリエイターとして有名になりました」

佐藤氏はまた、「当時、原作を読んでいて、少年ジャンプで初めて読んだ時の感覚を大切にしたいと思いました。原作のコマ割りを意識し、止め絵やパンニングをアレンジしました」と付け加えた。

『ドラゴンボール/ドラゴンボールZ』シリーズに携わる中で、最も思い出深いエピソードについて、佐藤氏は次のように語った。「中鶴さんが1年間ドラゴンボールの制作チームを離れた後、彼が担当した重要なシーン(天下一武道会編後、ピッコロ大魔王編あたりから)を描くようになりました。

悟空とピッコロのシーンが特に印象に残っています。当時、アニメージュ誌にインタビュー付きで取り上げられたのも良い思い出です」とも語っている。

佐藤氏は、『SLAM DUNK』のテレビアニメや劇場版シリーズ第1作のキャラクターデザイナーとしても知られている。同シリーズに携わった経緯や経験についてアラブニュース・ジャパンに話してくれた。「弟が『SLAM DUNK』に影響を受け、原作を読んで面白いと感じ、後にアニメ化を提案しました」

佐藤氏は次のように付け加えた。「原作者の井上雄彦さんも成長段階にあり、原作のデザインも変わっていったので、初期のキャラクターデザインもアニメの進行と共に使えなくなりました。オープニングとエンディングの作画は、すべて私が担当しました。筋肉やシワの表現はバスケットボール雑誌で研究し、リアルな感じを出しました。顔は原作に似せて描きましたが、体は別で、人間の体として描きました」

佐藤氏は昨年、中東に招待されたが、多忙のため渡航できなかった。だが、近い将来の訪問に非常に前向きのようだ。

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