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広島の折り鶴が歩む第二の人生

2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、数千羽の折り鶴をお焚き上げする際に法螺貝を吹いている三松庸裕氏が写っている。  (AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、数千羽の折り鶴をお焚き上げする際に法螺貝を吹いている三松庸裕氏が写っている。 (AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、お焚き上げを前に数千羽の折り鶴を準備している、平和的な活動をする団体「なごみプロジェクト」のメンバーである、テシマヒロシ氏が写っている。(AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、お焚き上げを前に数千羽の折り鶴を準備している、平和的な活動をする団体「なごみプロジェクト」のメンバーである、テシマヒロシ氏が写っている。(AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、数千羽の折り鶴のお焚き上げを進めている三松庸裕氏(右)が写っている。(AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にて、数千羽の折り鶴のお焚き上げを進めている三松庸裕氏(右)が写っている。(AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にある地蔵が写っている。(AFP)
2023年5月14日に撮影されたこの写真には、広島の近くにある宮島の仏教寺院大聖院にある地蔵が写っている。(AFP)
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20 May 2023 02:05:46 GMT9
20 May 2023 02:05:46 GMT9

宮島:山の中腹にある寺で袈裟を着た僧侶が法螺貝を吹き、お経を唱えながら、広島に寄贈された数千羽の折り鶴を焚き上げている。

10年間にわたって、広島の目の前にある宮島の仏教寺院、大聖院では、毎年広島市に寄贈される数百万羽の折り鶴のお焚き上げを行っている。

この儀式は小さな折り鶴に込められた思いに敬意を払うものだ。

2015年以来、お焚き上げされた折り鶴の灰は、陶磁器の香炉やキャンドルホルダーに使用されていて、そのうちの一つは岸田首相がキエフを訪問した際にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領に贈呈した。

米国によって広島に原爆が投下された1945年8月6日、当時わずか2歳だった佐々木禎子さんをきっかけにした折り鶴が、数十年にわたって広島に届いている。

禎子さんは白血病を患い、千羽折ると願いが叶うという言い伝えに従って、病院で折り鶴を折り始めた。

原爆により即死、もしくはその後遺症で亡くなった14万人のうちの一人として、12歳で亡くなった禎子さんは、原爆の影響を強烈に伝える象徴となり、原爆投下について子どもたちに教育する際によく挙げられるようになった。

長年にわたり、広島へ送られた折り鶴は、ただ記念館に置かれていただけで、適時、市の清掃業者によって処分されていた。

2012年まで、広島市は折り鶴のより良い処理方法を探していたが、平和的な活動をしている団体「なごみプロジェクト」の斎藤欣也氏がお焚き上げによる処分を提案した。

「思いが煙と共に広がって原爆の被害者のもとへ届いてくれるのではないかと思いました」と、広島で生まれ育った斎藤欣也氏はAFPに語った。

大聖院の三松庸裕氏はこの10年間、お焚き上げを率先して行ってきた。

三松氏は法螺貝を吹き、炉の前の座席につくと、お鈴を鳴らしてから原爆犠牲者の魂にお経を唱え始める。

また、「世界中の人々の思いや祈りのためにも、それぞれの折り鶴に込められた平和への祈りが天へ届くように」三松氏は祈りを捧げる。

大聖院は進んで折り鶴をお焚き上げしていたが、残った灰で何をするかははっきりとしていなかった。

厳島神社の下にある神聖な砂を使って、100年以上にわたって陶磁器を焼いている窯元、対厳堂が解決策を見出した。

窯元を運営している3代目の山根興哉氏はすでに、宮島の消えずの火灰釉を施して陶磁器を焼いており、同様の方法で折り鶴の灰を使用することに前向きだった。

芸術的なプロジェクトだったが、原爆投下時に14歳だった母親を持つ山根氏にとっては、深く個人的なものでもあった。

「母の両肘には子どもの頃にできた火傷の跡があり、長袖以外を着ている姿は見たことがありません」と山根氏はAFPに語った。

「母は何も語りませんでした。気づかれるのを避けるため、話すことを避けるために、あらゆることをしていたと感じました」

山根氏は、折り鶴の灰はコップや器などの日用品には使用できないと、すぐにわかった。

「広島から平和のメッセージを伝えられるものを作りたいと思いました」と山根氏はいう。

初めに製品化したのは鶴をかたどった繊細な香炉で、その後にキャンドルホルダーの製造を始めた。

原爆の子の像をイメージさせるキャンドルホルダーのドーム型の本体部分には、折り鶴が彫刻されている。

キャンドルは、ドームの下の、折り鶴の灰を釉薬にした台座に置かれ、釉薬によって暖かいオレンジ色の光が反射する。

3月の訪問時に、岸田首相がキャンドルホルダーをゼレンスキー氏に贈呈したことを知り、山根氏は衝撃を受けつつも、とても嬉しく思った。

「人々の平和へのメッセージが正しい場所に届いたように感じました」と、60歳の山根氏はいった。

「この広島に集まったメッセージは、日本だけからやってきたものではなく、世界中からやってきたもので、お焚き上げをした際に一つになるのです」

米国のジョー・バイデン大統領を含むG7の首脳陣は、今週のサミットで広島の平和公園などを訪れることになっており、そこで岸田氏は核廃絶に向けた行動を推し進めるだろう。

「広島は今や平和の同意語になっています」と斎藤氏はいった。

だがそれと同時に「核兵器がいかに怖く恐ろしいものかということを直接的に表している場所」でもある。

「首脳陣には、人々の言葉に耳を傾けて、何が起こったのかを理解してほしいです」

AFP

 

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