
ベイルート:ナディム・スロール氏は、多くのレバノン人駐在員と同様に、蓄えたお金を本国に送金していた。今やこうした預金は経済危機で崩壊し、ベイルートの爆風が彼の家を破壊した。
「私たちの生活は180度変わった」と、2019年9月に妻と2人の息子とともにUAEから帰国した43歳のスロール氏は語る。レバノンの銀行システムが崩壊する1か月前、港の爆発がベイルート一帯を壊滅させる1年前のことだ。
「今や私たちは破産状態だ」
1975年から1990年の内戦後の再建のため、高金利政策で巨額の公的債務を積み上げた挙句に、ずさんな管理と汚職のため多額の資金を浪費したこの国では、彼のような話は珍しいことではない。
一部の経済学者がポンジー・スキーム状態に例えたシステムは昨年崩壊した。銀行はスロール氏のような預金者にシャッターを下ろし、引き出し可能な金額に厳しい制限を加えた。一方でレバノンポンドは暴落し、預金額の価値が大幅に目減りした。
建設不況の後UAEを離れ、現在はレバノンの増加する失業者の仲間入りをしたスロール氏は、「預金があっても引き出すことができない。羊のような扱いだ」と語る。
1月には失業率が35%を超え、経済的困難はさらに深まっていた。危機に拍車をかけたのが8月4日の爆発事故だ。ベイルート港の倉庫に危険な状態で保管されていた大量の爆発性物質が爆発し、190人以上が亡くなり、多くの家屋が破壊された。その中には、スロール氏が帰国後自分の家を買えるまでの間仮住まいしていた両親のアパートも含まれていた。
慈善団体の支援のおかげで、スロール氏はベイルートにアパートを見つけることができたが、内戦で受けた幼年期の怪我のために働けない彼の高齢の両親と兄弟は、レバノンの困難な時代の避難場所である山岳地帯に引っ越した。
スロール氏の貯蓄は、ドルに換えられることを条件に2年間凍結されている。しかし、レートは1ドル=3900ポンドの固定レートだ。1ドル=8000ポンドに達した市場レートをはるかに下回っているが、以前は1ドル=1500ポンドで固定されていた。
銀行は預金者が引き出せる額にも上限を設けている。「今や銀行の外に行列をして順番が回ってくるのを待っている有様だ」とスロール氏は語る。
資本規制は正式に決定されてはいない。中央銀行は、預金者の預金は「ヘアカット」、すなわち元本削減の対象にはならないと表明した。
しかし、スロール氏も彼の父親モーリスさんもそのようなコメントを信用していないようだ。1980年代の通貨危機を経験しているモーリスさんは、銀行にある預金から月に1000ドルに相当する金額しか引き出すことができない。「家を修理するために使いたいお金を銀行は引き出させてくれない」とモーリス・スロール氏は語る。
中央銀行はレバノンの銀行に無利子のドル融資を提供するよう指示した。しかし収入のない人にとって、無利子であっても融資はほとんど効果がない。
退職者で、爆発事故で腕を負傷したサミール・スフェア氏(75歳)は「私は融資を望んでいない。自分のお金を使いたい」と語る。
スフェア氏は銀行から1か月に700ドルしか引き出すことができず、家の修繕をするにも友人の厚意に頼るほかない。
48歳の銀行員で不動産を所有するジョー・ネイダー氏は、13のテナントのために家具付きのアパートを修理しているが、サプライヤーが要求するドルを調達するのに苦労している。
「家族が、金や数珠、絵画などの持ち物を換金して」必要なドルを調達しているという。
現在の状況は、スロール氏のような人たちにとって、かつて彼らが海外に出向いた理由を改めて思い出させるものだ。チャンスがあれば、彼は再びレバノンを離れるだろう。「可能であれば今夜にでもそうする」
ロイター