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福島で原子力サーフィン

サーファー兼サーフショップのオーナー鈴木こうじが、福島県の南相馬でサーフィンをした後、火力発電所の前の浜を歩く。(ファイル/AFP) サーファー兼サーフショップのオーナー鈴木こうじが、福島県の南相馬でサーフィンをする。(ファイル写真/AFP)
サーファー兼サーフショップのオーナー鈴木こうじが、福島県の南相馬でサーフィンをした後、火力発電所の前の浜を歩く。(ファイル/AFP) サーファー兼サーフショップのオーナー鈴木こうじが、福島県の南相馬でサーフィンをする。(ファイル写真/AFP)
2020年3月8日、カリフォルニアのサンフランシスコ沖およそ25マイル地点でクルーズ船グランドプリンセス号が待機経路を航行し続ける中、乗船客たちが外を眺める。(AFP)
2020年3月8日、カリフォルニアのサンフランシスコ沖およそ25マイル地点でクルーズ船グランドプリンセス号が待機経路を航行し続ける中、乗船客たちが外を眺める。(AFP)
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10 Mar 2020 04:03:45 GMT9
10 Mar 2020 04:03:45 GMT9

来る日も来る日も、天気にかかわらず、64歳の鈴木こうじはサーフボードを抱えて福島の浜に打ち寄せる波を観察する。そこは日本でも指折りのサーフスポットだ。

鈴木の地元の浜は南相馬と呼ばれ、操業不能となった福島第一原発の北およそ30kmのところにある。彼は今も2011年3月11日の出来事をまざまざと思い出す。マグニチュード9.0の地震によって誘発された山のような津波が内陸めがけて襲いかかり、原発施設を破壊した。

情け容赦なくなだれ込む波は、70軒近くの頑丈な家屋が集まる海岸沿いの住宅地全体をすべて跡形もなく舐め尽くし、鈴木のサーフショップもその中の一軒だった。

鈴木はなにもかも置き去りにして逃げた。その時たまたま飛び乗った自分の車の中にあった2枚のショートボード以外は。

「家も仕事も店も失いました。避難中に母も亡くなり、その数ヶ月後には父も亡くなりました。すべてを失いました。あるのはサーフィンだけです」と彼はAFP に語った。

その夏地元に戻ってみると、浜は倒壊した家屋のガラクタや破片が散らかり放題だった。

福島第一原発の損壊はチェルノブイリ以来最悪の原発事故となった。今なお現地環境には放射能が漏れ出しており、16万人近くの人々が避難生活を余儀なくされている。

しかし鈴木はその海へ戻る決心をした。その海は複数の海流がぶつかり合い、日本で有数のサーフスポットと なっている。

「その光景には胸が痛みました。でも海だけは以前と同じようにそこにありました...今自分が海に入らなければ、この浜は永遠に死の海と化してしまうから」と彼は語る。

放射能レベルが危険領域でないことを確認した後、鈴木は再び海に一歩ずつ入っていった。海辺ではまだ救助隊員らが熊手を使って行方不明者や遺骸を捜索していた。

その日を境に彼の数十年間に及ぶサーフィンへの情熱が戻ってきた。

「年間250日くらいはサーフィンをしています」脇の下にサーフボードを抱えながら水から上がってきたその サーフィンのベテランは言う。

「正月と次の日ぐらいは休みますけどね。それ以外は毎朝海を見に来ます。」

あれから9年が経った今、安倍晋三首相はこの夏の東京オリンピックを利用して福島の復興を世界へ披露しようと余念がなく、福島の原発をオリンピックのたいまつリレーのスタート地点にしようと計画している。

さらに安倍内閣は、原発のある二つの町の一つである双葉町の一部の地域に対する避難勧告を解除し、たいまつリレーが通過できるようにもした。

2020年度はサーフィンをオリンピック種目として初登場させ、若者たちのオリンピックへの関心を引こうとしている。サーフィン競技は東京の北東にある千葉県釣ヶ崎海岸で行われる。

鈴木は福島がメディア上で「安全」だと報じられ、復興への機運が高まればよいと考えているが、政府が盛んに宣伝する「復興オリンピック」というものは信じていない。

「かつての福島は二度と戻りません」彼は言う。「自分が暮らし、店をやっていたあの同じ場所には二度と戻ることができないのです...歴史の中で福島は永遠に汚名を着せられたままとなるでしょう」

政府による福島のイメージ刷新の努力にもかかわらず、福島の原発危機の収束は程遠い。

原発現場のタンク内に貯蔵されたままになっている100万トン近くの放射能汚染水の処理について、日本は途方に暮れているのだ。

冷却水や地下水や雨などから日々じわじわとタンク内へ入り込んでいる放射能汚染された液体は、ろ過によってほとんどのアイソトープは除去されるが、トリチウムだけは除去できない。

世界的な核の監督団体IAEAは、その水を海へ放出するという日本の計画を支持している。「他の場所でも実施された」ことだという理由だ。

しかし韓国をはじめとする日本の近隣諸国の中には、安全性についての疑問の声が上がっているし、日本周辺で操業している漁師たちは、評判に打撃を与えるリスクを懸念する。

福島沿岸の放射能レベルを調べてきた福島大学の奥本英樹教授は、必ずしも安全性を示すデータによって市民が安全だと感じるようになるとは限らないと言う。

「ここの放射能レベルは、原発事故以前のレベルと変わりないのです」と奥本教授は言う。「確認作業を継続的に行って適時データを公表し、(安全)標準レベルを上回っていないということを示し続けていく必要があり  ます」鈴木は科学というものを疑っているわけではないが、汚染水を放出するという計画には反対だ。悪い評判が定着するリスクは、彼のふるさとにとって「じゃまもの」になりかねない。

「ここにはまだ素晴らしい自然が残されています。サーフィンには特にそうです。他のどこよりもこの場所が気に入っています。ここの人たちも好きだし、とても居心地がいいんですよ」と彼は言う。

「同じように感じている人たちとこの気持ちを分かち合いたいだけなんです。私にとってはそれで十分です。」昨年の夏、南相馬市は原発事故以来初めて鈴木の庭となっているその浜を公式に一般開放した。

「波の荒いこの浜の海で子供たちがふざけまわっているのを眺め、本当に嬉しかったですよ。あの子たちはそれまで海の塩水の味も知らなかったんですから」と鈴木は言った。

今月後半に65歳となる鈴木は、自分のサーフィンへの情熱が二度と踏みにじられることがないようにと願う。

「70歳になってショートボードがもう手に負えなくなったら、ロングボードに切り替えようと思ってい   ます。」

AFP

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