
東京:日本の現代ビート詩の第一人者であり、時にジャズを交えたドラマチックな朗読で知られた白石かずこが死去した。93歳だった。
アメリカの詩人で翻訳家のケネス・レクスロスが「日本のアレン・ギンズバーグ」と呼んだ白石は、6月14日に心不全で亡くなったと、彼女の作品を出版している東京の思潮社が水曜日に発表した。
白石は早稲田大学に在籍中の弱冠20歳のときに、戦時中の日本の破壊をシュールレアリスムに描いた『卵のふる街』で一躍有名になった。
トレードマークの長い黒髪と芝居がかった語り口で、彼女は無口で自己主張しない日本人女性という歴史的なステレオタイプを覆した。
白石は詩の中でこう書いている。”ピンク色のようなものは初めてだ”
“子供が少女になり/ついに夜明けに向かう道は/途絶えた” と詩は結ばれている。
白石はジョアン・ミロ、サルバドール・ダリ、ジョン・コルトレーンに影響を受けた。彼女はパフォーマンス詩のパイオニアであり、世界中の詩祭で取り上げられた。サム・リヴァースやバスター・ウィリアムスといったジャズの巨匠の音楽とともに作品を朗読し、コルトレーンの精神にオマージュを捧げた自由詩もある。
カナダのバンクーバーで生まれ、幼少期に日本に帰国。10代で前衛詩のグループに参加。
白石の個性と詩は、時に奇怪でエロティックであり、俳句や短歌のような日本の歴史的ルールに縛られた文学形式に反抗し、代わりに現代的な未踏の道を歩んだ。
ケネス・レクスロスは、2009年の『My Floating Mother, City』や1978年の『Seasons of Sacred Lust』など、白石の作品が英訳されるよう尽力した。
長年にわたり、彼女の作品は数十カ国語に翻訳されている。彼女はまた、ギンズバーグの作品を含む文学の翻訳者でもあった。
1973年、ポール・エングルに招かれ、アイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラムにゲストライターとして1年間滞在。この経験は、彼女の芸術の幅を広げ、詩的な声を獲得する助けとなった。
「白石かずこの詩では、東洋と西洋が偶然にもつながり、ひとつになっている。東洋は東洋であり、西洋は西洋であり、決して両者が出会うことはない」というキップリングの独断に反論する。白石かずこの詩では、この出会いはすでに起こっているのだ」
葬儀は親族のみで執り行われ、追悼式は現在計画中。遺族は夫の菱沼眞彦と娘1人。
AP