
ウェリントン(ニュージーランド): スクラムハーフの田中史朗が39歳で国際ラグビー界からの引退を表明し、日本ラグビー界で最も成功した時代のひとつにまたがるキャリアに終止符を打った。
田中は、2015年ワールドカップで南アフリカに勝利した日本代表と、ホームチームがアイルランドとスコットランドを破った2019年ワールドカップ日本大会でプレーした。彼の国際的なキャリアは、日本がアジアにおけるラグビーの孤独な前哨基地だった2008年に始まり、世界のラグビー界での最高の選手たちを擁した最新の日本リーグ1シーズンで幕を閉じた。
田中は2012年から2015年までの3年間、日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズの下でプレーし、再びジョーンズが日本代表を率いる中でキャリアを終える。コーチとしてのキャリアの次のステージを計画している田中は、ジョーンズのキャリアの軌跡と個人的な成長に教訓を見出している。
日本代表監督に就任した当初のジョーンズは、多くの選手を疎外するような厳しい指導で有名だった。田中は、ジョーンズが2度目の日本代表監督に就任した初期の段階を見て、経験を経て新しい、そしておそらくより良い方法を見つけたと信じている。
「トレーニングのスタイルはまだ本当にハードですが、人間としてはとても温厚になりました」と、田中は金曜日に東京から通訳を介して行われたインタビューで語った。
「彼が初めてコーチをしていた頃と比べて、今の日本ラグビーのレベルが上がっているのでしょう。おそらく、選手間の理解が以前より深まっているのでしょう。だから、彼は以前より居心地がよくなっている。彼はもうイライラしていない。それが私の印象です」
田中によれば、2012年から2015年の時代、ジョーンズはしばしば怒りに燃えており、キャプテンのマイケル・ライチでさえそうだった。
「しかし、私の視点では(今回は)そのようなことは起きていない」と田中は言う。「彼と話すことができるし、彼は実際にミスを犯した選手に手を差し伸べた。それが、私が代表選手だった頃との違いです」
ジョーンズはまた、今年のイングランド代表戦とジョージア代表戦では、特に若い日本代表を選んだ。彼は、自分のやり方に固執する年配の選手たちを相手にするよりも、若い選手たちを成長させる方が性に合っているようだ。
田中は、ジョーンズが怒りっぽい性格であるにもかかわらず、就任当初の日本ラグビー界に重要な変化をもたらしたと語った。
「私は日本代表で11年間プレーしました。エディーが就任してからは、私や(フッカーの)堀江(翔太)、そして他の選手たちの試合に対する意識が変わりました。「彼が合流する前は、ゲームに対する意識が本当に低かった」
それが頂点に達したのが、2015年にイングランドのブライトンで行なわれた南アフリカ戦だった。
「あの試合の後、(日本のファンは)私たちを尊敬し、私たちの試合のそれぞれの部分に注目が集まりました。あの試合以降、ラグビーのことがどんどん知られるようになったと思います」と田中は言う。
「以前は、楕円球を持った子供たちや、ジャージ姿の子供たちや家族連れがスタジアムに来ることは、とても珍しいことでした。今は、日本が試合をするときに、スタジアムにたくさんの人が来てくれる。それは私たちにとってとても幸せなことです」
AP