
パリ五輪で銀メダル1個に終わった競泳ニッポン。2021年東京五輪が00年以降で最少の3個(金2、銀1)だったが、さらに減った。
東京五輪後に北島康介さんらを育てた平井伯昌氏が代表ヘッドコーチを退任した。08年北京五輪後から長く強化の中心にいた同氏から、現在の梅原孝之競泳委員長に代わった。
そもそも、長期政権の後を受け継ぐのは難しい。これまでのノウハウを生かしつつ、ブラッシュアップするのにも時間がかかる。
さらに新型コロナの影響も受けた。1996年アトランタ五輪でメダルゼロに終わった後に到来した黄金期は、選考会で選ばれた五輪選手を集め、約100日かけて鍛え直すという手法で築いた。東京五輪延期の要因にもなったパンデミックによって、チーム内で高め合うとする強化の基本路線を踏襲することが困難になった。
並行して、日本の競技力は下り坂に入っていた。東京五輪は、世界トップに比較的近かった種目で、当時の世界記録保持者をはじめとした他国の一部有力選手が決勝で実力を発揮し切れないケースがあった。金を含む複数メダルを取った状況を「惨敗だった」と厳しく評価した競泳関係者もいたが、その声にしっかり耳を傾けられたとは言い難い。
これまでの競泳日本勢は、大柄でパワーにも恵まれた海外勢に対し、泳ぎの技術を磨くことで対抗してメダルを守ってきたが、全体の競技力低下が徐々に見え隠れした中での「トップ交代」。前体制からの継承がうまくできず、合宿によるチーム強化が形式的なものになったことが、この3年に結果として出た。
時事通信