Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 特集
  • 野茂からイチロー、そして大谷へ:MLBにおける日本の野球の隆盛

野茂からイチロー、そして大谷へ:MLBにおける日本の野球の隆盛

大リーグ初の日本人選手は、1964年と1965年にサンフランシスコ・ジャイアンツで投手として活躍した村上雅則氏である。(AFP通信のアーカイブより)
大リーグ初の日本人選手は、1964年と1965年にサンフランシスコ・ジャイアンツで投手として活躍した村上雅則氏である。(AFP通信のアーカイブより)
Short Url:
16 Mar 2025 11:03:12 GMT9
16 Mar 2025 11:03:12 GMT9

東京:2000年、イチロー・スズキは野球場でいつもの1日を過ごしていた。オリックス・ブルーウェーブの春季キャンプ中のダブルヘッダーで、打撃練習でパワーを披露し、その後もフィールド中をライナーでかっ飛ばしていた。

もう一方のダグアウトで、現役最後の年をヤクルトスワローズで過ごしていたアメリカ人内野手トーレ・ラウロは、自分の目を疑った。

26歳のスピード、パワー、技術の融合は、常識はずれだった。なぜ誰もこの男のことを知らなかったのか?

「通訳に、野球ボールを3つ用意するように言ったよ」と、現アリゾナ・ダイヤモンドバックス監督は語った。「彼と契約すべきだ。私が今まで見た中で最高の打者だ」

ラウロは、将来メジャーリーグの伝説となる選手を見抜くことにおいて、時代の先を行っていた。鈴木は翌年、シアトル・マリナーズと契約し、米国に渡った。そして、3,089本のMLBヒットを放ち、殿堂入りを果たすなど、輝かしいキャリアをスタートさせた。

鈴木のメジャーリーグデビューから約25年後、ワールドシリーズのディフェンディングチャンピオンであるロサンゼルス・ドジャースが、シカゴ・カブスと東京でレギュラーシーズン2試合を行うことになり、日本人選手がそのイベントの目玉となる。 ドジャースの二刀流スター、大谷翔平選手は世界最高の選手であると広く考えられており、チームメイトの山本由伸選手と佐々木朗希選手は投手陣の重要な戦力である。

カブスでは、鈴木誠也選手が打線の中で最も優れた選手の一人であり、今永昇太選手がエースピッチャーである。今永選手は火曜日に山本選手と対戦し、MLB史上初の日本人先発投手対決が実現する。

これは、日本、日本の野球、そして今日の世代がアメリカの野球界で大きな存在となる道を徐々に切り開いてきた数十人の選手たちにとって、非常に意義深い瞬間である。

「とても興奮しています。家族もとても興奮しています。向こうで思い出を作れる素晴らしい機会だと思います」と鈴木誠也は語った。

メジャーリーグにおける日本の台頭

メジャーリーグで初めてプレーした日本人選手は、1964年と1965年にサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした村上雅則投手である。

しかし、1995年に野茂英雄投手がロサンゼルス・ドジャースに入団してから30年後、日本がメジャーリーグで存在感を示すようになった。 ホームプレートに背を向けて投球動作に入るという型破りな投球フォームで、野茂はたちまち注目の的となり、13勝6敗、防御率2.54という成績を収め、ナショナルリーグの新人王とオールスターチームに選出された。

「テレビで放送されていたので、人々は子供の頃に、メジャーリーグで彼が投げるのを見ていたでしょう。そして、それは日本でも話題になりました」と、1990年から2007年まで日本でスター捕手として活躍した古田敦也氏は言う。「野球少年たちはメジャーリーグでプレーすることを夢見ていました」

当初は主に投手が米国でプレーするために日本からやって来た。長谷川滋利は1990年代後半からエンゼルスとマリナーズでクオリティの高いリリーフ投手として活躍し、佐々木主浩は2000年代初頭にマリナーズのオールスタークローザーとして活躍した。

しかし、2001年にマリナーズと契約し、日本人打者たちに道を開いたのは鈴木だった。

「イチローがようやくやって来て、ゲームで頭角を現し始めたとき、他の若い日本人選手たちに、ここに来ることは可能だという道筋を示したのです」とラウロ氏は言う。「彼らは常に、自分たちは十分な大きさや強さを持っておらず、このレベルでは競争できないのではないかという不安を抱えていました」

「しかし、それは私のオピニオンでは決してありえないことです」 イチローの到着後、何人かの日本人打者がメジャーリーグで成功を収めた。 2003年から2012年までニューヨーク・ヤンキースの主力選手であった松井秀喜外野手は、オールスターに2度出場し、175本塁打を放ち、2009年のワールドシリーズでチームの優勝に貢献した。

外野手の田口壮は、2006年にカージナルス、2008年にフィリーズのワールドシリーズ制覇に貢献した。福留孝介は2008年にシカゴ・カブスのオールスター選手となった。

それが、大谷、鈴木誠也、そして過去2シーズンで25本塁打を放ったボストンの吉田正尚ら、現在の世代への道筋を作った。かつては珍しかった日本からやって来る選手たちも、今ではアメリカのファンにとって珍しい存在ではなくなり、メジャーリーグの風景の一部となっている。

ドジャースが先導する

ドジャースが日本の野球の優秀さを紹介する先頭に立っているのは、決して偶然ではない。

この球団は、人種や民族的に多様な才能を発掘してきた長い歴史を持っている。野球界初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンは、ブルックリンに本拠地を置いていた1947年にこの球団でデビューした。1981年には、メキシコ人のフェルナンド・バルエズエラ投手がセンセーションを巻き起こし、17年間にわたって素晴らしい活躍をした。そして1994年には、チャン・ホ・パーク投手がメジャーリーグ初の韓国人選手となった。

1995年の野茂の加入は、球団の理念の延長線上にあるものだった。1990年代半ばにドジャースで働いていたグレース・マクナミー氏は、野茂が最初の数シーズンを過ごした際の通訳者の一人であり、前オーナーのピーター・オマリー氏は常に野球の世界的な発展を支援していたと語っている。

「オマリー一家は、野球のグローバル化に全力を注いでいました」と 「ピーターにとって、日本のメディアを含め、誰もが対応できることを確認することは本当に重要だった」とマクナミー氏は語る。

現在のドジャース監督のデーブ・ロバーツ氏は、その遺産を大切に守っている。彼の父親は黒人、母親は日本人であり、元MLB外野手は、日本の沖縄にある米軍基地で生まれた。その背景は、大谷、山本、佐々木といった選手を獲得する際に不利には働かなかった。

ドジャースの監督は冬に日本を訪問し、伝説のスラッガー王貞治氏と会食した。そして、球団が日本人選手にとっての目的地であることを誇りに思っている。

「彼らはドジャースでアメリカでプレーするという素晴らしい経験をしている。そして、ドジャースにはその責任がある。なぜなら、我々は世界的に見ても野球の中心地だからだ」とロバーツ監督は語った。

現在の世代

現在アメリカで活躍する日本人野球選手は、史上最も層が厚い世代と言えるかもしれない。

ドジャースやカブス以外のチームでも、多くの選手が活躍している。ダルビッシュ有は5回にわたってオールスターに選出され、現在もサンディエゴ・パドレスの投手陣の重要な一角を担っている。一方、レッドソックスの吉田は、チームの主力打者として活躍している。

ベテランの前田健太は、デトロイト・タイガースで復活のシーズンを狙っている。また、ミネソタ・ツインズに所属していた2020年には、アメリカン・リーグのサイ・ヤング賞投票で2位となった。ニューヨーク・メッツは、右腕がローテーションのトップでオールスターとなった2023年のフォームを取り戻すことを、千賀滉大に期待している。

2021年のオールスターゲームにも出場した左腕の菊池雄星は、オフシーズン中にロサンゼルス・エンゼルスと6300万ドルの3年契約を結んだ。菊池は、2019年のシーズン開幕戦の2試合でシアトル・マリナーズの一員としてオークランド・アスレチックスと対戦し、実際にMLBデビューを果たした。彼は、全米を回るこの遠征はチームメイトとの絆を深める素晴らしい機会だったと語っている。

その遠征は、イチロー・スズキ選手のキャリア最後の2試合、つまり野球界のレジェンドを祝う引退パーティーによって特徴づけられた。今週は、大谷選手が主役となる。

「向こうで日本の才能を披露するチャンスであり、日本中がかなり興奮していると思います」と菊池選手は語った。

アメリカ野球の下部組織でも、日本人選手たちは存在感を示している。19歳の佐々木麟太郎と18歳の森井将太朗という2人の若きスター選手は、早くもアメリカに渡っている。

佐々木はスタンフォード大学でプレーする強打の1塁手であり、一方の森井は1月にアスレチックスと150万ドルのマイナー契約を結んだ潜在的な二刀流選手である。

25年前に鈴木に畏敬の念を抱いていたラウロ氏は、まさに「革命が起こる」と予見していたと言えるだろう。

「もっと多くの選手が現れるのは時間の問題だと感じていた」とラウロ氏は言う。「我々はアメリカで世界最高の選手たちにプレーしてもらいたいと思っている。彼らはここに来て、自分たちの存在をしっかりと示し、我々のゲームをより素晴らしいものにしてくれている」

AP

特に人気
オススメ

return to top

<