

ラワー・タラス
ドバイ:イスラエルの空爆で粉々になる前は自身の大学の英語学部であった瓦礫の中に、1冊の本を見つけたモサブ・アブ・トーハ氏は、それを拾い上げ、薄く覆った埃の膜を払いのけた。
ぼろぼろになったその書籍は、アーネスト・ヘミングウェイやウォルト・ホイットマンといった偉大な作家たちの作品を集めたアメリカ古典文学選集であった。
イスラエルとパレスチナ民兵組織ハマスが最後に大規模に戦った2014年の夏に、ガザ・イスラム大学の焼け跡の中でみつけたこの痛切な思いは、その後もアブ・トーハ氏から離れなかった。
積年の対立関係が再燃した今年5月の激動の11日間に、その感情が一気によみがえった。
2008年以降、ガザ地区で発生した4度の大きな紛争を生き抜いてきたアブ・トーハ氏は、28歳の詩人であり英語の教師でもあり、自治区が息の詰まる封鎖や日常茶飯事の爆撃を耐え忍ぶ中で、住民たちの学びの手段や古典文学作品に触れる機会を守ることが緊急の課題であると感じた。
最も過酷であったと振り返る2014年の51日間に及ぶ紛争の直後に、アブ・トーハ氏は、SNSを通じて寄付を募り始め、後にエドワード・サイード公共図書館となるものへの基盤を固めた。
学者であり理論家であった今は亡きパレスチナ人の名を冠した、ガザ地区初で唯一の英語書籍の図書館は、国際的な資金調達の力を借りて2017年に開設した。現在、ベイトラヒヤとガザ市にある2つの館には、2000冊以上の蔵書があり、そのほとんどが古典文学作品だ。
これらの場所は混乱のさなかの避難所となり、パレスチナの青少年たちが、ウィリアム・シェイクスピア、レフ・トルストイ、ドクター・スース、ジョン・ル・カレ、ハーマン・メルヴィル、カフムード・ダルウィーシュ、そしてもちろん、エドワード・サイードといった作家たちの不朽の作品に自由にアクセスできる場所だ。
アブ・トーハ氏は図書館を暗闇の中のロウソクになぞらえ、ガザでの生活の過酷な現実から逃れる場所を提供している。
「街なかの多くの子供たちは幸せそうに見えます」と彼はアラブニュースに語った。「彼らは微笑みかけてくるでしょう。しかし、心の奥底にはトラウマを抱えています。もし彼らに寄り添って質問をし、その潜在意識を深く掘り下げてみれば、こうした子供たちが夜な夜な悪夢にうなされているのが分かるでしょう」
「このような子供たちには、自分たちが体験していることは普通ではないのだと理解するためのなんらかの空間が必要です。自分たちが体験しているのは異常なことなのだと」
アブ・トーハ氏の読書や英語への熱い思いは、本に囲まれて過ごした子供時代に由来する。言語学で学士号を取得した後、彼は、国連救済事業機関(UNRWA)の学校で英語の授業を担当した。
彼に大きな転換点が訪れたのは、国際的な「スカラーズ・アット・リスク」プログラムの一環でハーバード大学客員詩人として2019年に米国へ招待されたときだ。彼にとって、ガザ地区を離れるのはこれが初めてだった。
「27歳になるまでガザ地区から出たことがなく、自国に空港というものがなく、港湾もなく、上空のドローンの音や戦車の爆撃音が鳴り止むこともなかったという私自身の体験が、自分の創造的な文章能力を発掘する探求につながったのだと思います」とアブ・トーハ氏は自身の文学的インスピレーションについてそう語った。
彼は、他のパレスチナの青少年たちにも同じように、日々のトラウマをそれに見合う創造的な探求へとつなげていって欲しいと願っている。
「若い著作家たちが彼らの体験を、アラビア語と英語の両方で、さまざまなジャンルで語っていくことは非常に大切だと思っています」と彼は述べた。「これは義務です。世界に自分の見ているものを語っていく必要があるのです」
図書館を訪れる人々のほとんどは、自宅で滅多に本を手に取ることができない青少年たちだと彼は説明する。
「ガザ地区では地域の図書館を見つけるのは容易ではありません」とアブ・トーハ氏は述べた。「おそらく、人々が日々の食べ物を得るのがやっとの財政的状況からすれば、それは非常に稀なことです」
「しかし、一部の子供たちにとっては図書館へ来れば、これらの本や美しいテーブルと椅子があり、それらを活用したくなるのです」
図書館は彼のライフワークとなっている。しかし書棚を埋めるのは、厳しい封鎖措置のせいで終わりのない苦闘であることが判明しつつある。新たな本が入荷するたびに、イスラエルの入管当局が引き留めて徹底的に検査するのだ。
しかしそれでも、海外支援者たちの寛大な寄付のお陰で、エドワード・サイード公共図書館は豊富な蔵書を揃えた。その中には、多くの作家たちから寄贈された署名入り自著作品も含まれる。
高名な米国の言語学者・哲学者・有識者であるノーム・チョムスキーからの寄贈もあり、彼はこの図書館を「ガザ地区の若者たちにとっての希少な灯であり希望である」と述べている。
また、2003年に67歳で亡くなったエドワード・サイード氏の遺族も支援の手を差し伸べ、彼の影響力のある作品の何冊かを寄贈してくれた。アブ・トーハ氏はサイード氏に会ったことはないが、彼の名はこの図書館に相応しいと感じている。
「彼はパレスチナ人の象徴であり、自由の象徴です」とアブ・トーハ氏は言う。「彼はどちらの側に肩入れするのでもない、公な立場の有識者です。パレスチナ当局もイスラエルもアメリカ政府をも恐れることなく、彼は自分の考えを声高に語りました」
「彼はこの世界に正義を求める全ての人々にとっての傑出した手本だと思います。エドワード・サイード氏は、パレスチナ人であるのみならず、地球人であり、彼の名を図書館に冠することは我々にとって名誉なことです」
この図書館の2つの館はいずれも、幸いにして今年5月の紛争を持ち堪え、被害は最小限で済んだ。
「それは短期間でしたが、テロや破壊や大勢の家族から住居を奪ったその規模は、途方もないものでした。非常に過酷でした」とアブ・トーハ氏は述べた。「新兵器を使用した実に恐ろしいものでした。今でもその時のことを思い出すと、今こうして生きているのが不思議なくらいです」
地域社会の再建を助け、図書館を支援し、先日の紛争で被害を受けた家族たちの精神的支援プログラムの資金援助をするために、彼は募金活動を立ち上げ、これまでに目標額2万ドルのうちの約半分が集まった。
彼は、さらにいくつかの分館を開設して、より多くのパレスチナの子供たちが広大な文学の世界を発見・探検し、自分たちの苦境を正しく捉え、最終的にガザの心理的・物理的な抑圧を超えて成長していって欲しいと考えている。
「私が唯一希望を感じるのは、子供たちが図書館にやって来て、本を読み、アクティビティーに参加し、家へ帰って図書館での体験を親に話し、そして次の日に友人を連れてやって来てくれるのを目にしたときです」とアブ・トーハ氏は述べた。
「これが唯一、私の心に希望をもたらすのです。これらの子供たちが新たなことを学び、私を超えていくのだと」
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